昨日に続き、冷たい雨が降っている。この時期、菜の花の盛りの頃に降り続く雨のことを菜種梅雨という。日本の豊かな自然によって育まれた清く美しい日本文化を感じさせる言葉である。しかし、被災地にあっては、救助や復興を阻む恨めしい雨に違いない。一刻も早く、被災した方々に、温かい支援が整うように私も生活改善を考え、できることをしていきたい。
 福島原発の排水口のモニターに異常が現れているようだ。放射性セシウムは魚貝類の体内に蓄積されやすいと聞き、漁業関係者のみならず私のような釣り人も消費者も心配でならない。しかし、私などはおろおろするばかりである。
 さて、釣りのことを少し述べたい。3月は、まだ、1日しか釣行していない。4日の午前・午後と船に乗り、4.7キロの真鯛を釣ったきりである。前回書いたように、もし、11日に釣行していたなら港に停めた車は流され、、大原沖を一晩、漂流したことだろう。この道?十年の船長任せの贅沢な楽しみとはいえ、自然という偉大なサークルの中での小さな人間の営みなのだということを思い知らされる。一昨年来、ヒラメやイカ、イサキやフグの合間に通い続け、ようやく21回目にして手にした大タイ!思えば今まで、中りに対しての合わせで悩んできた。びっくり合わせではすっぽ抜け、弱いと巻き上げ途中でバレてしまう!仲乗りさんに聞いても、私の乏しい経験からは理解できない。釣行を重ねてわかってきたことは、潮や風により、道糸にたるみがあると、思いっきり大きくあわせても針先にはその力が十分に伝わらない。逆に、弛みがなければ、ドラグ調整がちょっとでも強い時の強すぎる合わせでは、テンヤのチモトで合わせ切れを起こしてしまうことさえあるだろうということだった。現に4日、大タイを釣りあげた直後の重い中りを合わせ切りしてしまった。あろうことか船長にしっかりとみられてしまった。どういうわけかバラした時、十中八、九は船長に見つかってしまう。不思議でならない。常に、冷静に、ドラグ調整をしてリールから道糸、リーダ-、テンヤまでが鮮明にイメージされていないと、せっかくの大ダイの顔をみることはできないだろう。想像力が求められる。
 さて、話をこの大タイにもどすと、テンヤの着底と同時にスッとしゃくったとたんにグッと乗り、そのまま走りはじめた。リールの引き出される快感に、途中、ドラグを緩めたりしてしまった。もちろん、「根に行かれちゃうよお、緩めちゃだめだお、切られちゃうよお」と船長に怒鳴られたことは言うまでもない。が、今までのレコードが1,8キロだったので、頬は緩みっぱなしでリールを巻いた。
 釣った魚はおいしく食べなくては魚に申し訳ない。が、まな板より大きい魚は捌くのに苦労する。市内に住む妹がクーラーを持ってきて、さばくのをまっていたが、まな板より大きな魚はリリースしたいといつも思う。なかなかできないのだが・・・。被災地の方々がのんびりと、日がな釣りを楽しめる日はいつ訪れるのだろうか?