暗中模索、五里霧中、七転八倒の釣り日誌

多趣味な世捨て人が、釣りを中心に幅広く、無責任な独断を掲載。

2011年03月

ヤリイカ釣行!

 28日の月曜日に、鋸南勝山港からヤリイカ釣りに出船した。外房にしようか、勝山にしようかと迷ったのだが、年寄りの面倒見の良い勝山港の船宿萬栄丸に決定!さらに言わせもらえば、3艘の大型船を持ち、互いに連絡を取りながら、イカの反応を追う。結果、どの船に乗ってもそれなりの釣果を約束してくれる。仲乗りさんたちはクーラーの運搬から、お祭りの世話、釣り方の指導まで、優しい言葉遣いで気持ちよくきびきびとこなしている。おまけに、女将さんたちの接待がこれまた地よい!出るときはもちろん、帰ってからの接待がいい!たとえ釣れなくてもまた、きっと足をはこんでしまうことだろう。前日は、6名の予約ということだったが、当日になってみれば30人をはるかに超える釣り人で、急遽3艘の出船となった。このあたりのレスポンスの良さも、お客様第一の対応で信頼感がある。出港前に、両隣の方に挨拶をして行程1時間。
 朝のスルメのモーニングサービスをパスして、ヤリへ。朝1番は、どうも乗りがよくない。が、私だけ!両隣の方は、パラソルに近いオスを2杯、3杯と取り込んでいる。ウーン、これは厳しい!誘いを横目で盗みつつ、竿をしゃくり続けると、そのうち、私にもズンという乗りが!しかし、小ぶりなメス!潮周りの途中、隣の方に教えを乞うと、「釣れないとついつい底を探ってしまい、小ぶりなイカばかりになりやすい、思い切って上まででさぐってみてはどうか。1杯掛かった後は、ゆっくりまいたり、ちょっと待つといいですよ」というアドバイスだった。早速、次からは丁寧に15メーターまで探り出すと竿先にズン、ちょっと巻いて待つとすぐ、ズズン!そのたび気持ち竿先をシュッと上げて確実にカンナに掛け、また少し巻いて、待つ。するとズンと来たので、シャッとしゃくりまた巻いて待つ!そろそろいいかなと巻き上げる。以前はまだ150メートル、まだ100メートル。まだ50メートル!逃げられるのでは、バラスのでは・・・と気が気でなかったが、去年あたりからは平常心?で待てるようになってきた。期待に難わず、良い型が3点掛け!今夜の酒が楽しみでならない。皿いっぱい、腹いっぱいのヤリ刺し!ヤリ刺しどんぶり、ヤリイカのナメロウ、さっとバター炒め・・・・。私はヤリに限らない。鯵が食べたくなると鯵釣りに、イサキが食べたくなるとイサキ釣りに、ヒラメが食べたくなるとヒラメ釣りに・・・。そんなわけで浮気者の常、様々な魚釣りに行くので、なかなかうまくなれないのだ。が、それはそれで満足している!断るまでもなく、多少のやせ我慢は、ある。
 鯵釣りでもイサキでも、イカでも同じだが、仕掛けだけは十分に用意して船に乗る。手前祭りは無論のこと、隣の方とのお祭りでも、仕掛けには固執しない。ほどくより、新しい仕掛けで釣り続けたほうが手返しがいい。イカ釣りで言えば、新しいツノに、2.5号のハリスを10センチほどつけて各色ごとに用意しておく。そして、欠損した角を補充して、釣り続ける。鯵でもイサキでも、イカでもヒラメでも、フグでもそれぞれの仕掛けを自作できることが前提になるが、いかがだろうか? つまらぬテレビを眺めているよりは仕掛けつくりのほうがはるかに 楽しいと思うのだが…。
 当日、頭は87杯だった。私は51杯。後半からは、特に1時過ぎからは良型に恵まれ、 満足な一日になった。妹はクーラーを持って帰宅を待っていたし、普段お世話になっているご近所にもおすそ分けをして、喜ばれたことと、多分、思う。萬栄丸お土産の、生わかめは、シャブシャブ、みそ汁、スープと何にしても、市販の塩わかめとは比べることのできない歯ごたえ、香り、味だった。皆さん、今のうちですぞ!早く勝山港へ!
 話題は変わるけれど、最近、藤井克彦さんのブログの更新がない。いろいろと経緯はあるらしいのだが、それはそれ、残念でならない。早く復活してほしいのは、私一人ではないはず!来週は大原からタイ釣りか!勝山から再びヤリイカか?ああ体が二つほしい!

射撃月例会

 40人ほどの参加を得て、3月の月例会が24日に開催された。本射撃クラブは、フィールド射撃の会で、齢60歳以上であることが原則。ただし、女性にあってはこの限りではない。私も昨年から入会をさせていただいたのだが、皆さん、和気あいあいと射撃を楽しんでいらっしゃる。射撃はもちろんなのだが、月1回、会員と顔を合わせ、おしゃべりを楽しみにしている方も多いようだ。
 この時期に射撃なぞとのご批判もあるだろう。しかし、復興とは、以前と変わらぬ日常が一人一人の日常に戻ってくることではないか。原発はなお悪化の道をたどり、決して戻らぬ人も大勢いるわけで、射撃場、釣り宿、居酒屋、観光地等、そこいらで落とすお金を支援金にという考えもあろう。事実、11日に使うつもりだった船賃は支援金にさせていただいた。しかし、こんなことをいつまでも続けていたら、震災で落ち込んだ釣り客は長期間戻らないことになり、船宿の経営は破たんしてしまう。現にいま、船の油代も跳ね上がり、経営は青息吐息だという。居酒屋しかり、観光地しかりであろう。そんなわけで、趣味にも、また、打ち込もうと思う。が、日常の光熱費は切り詰めていくゾ。
 射撃に話をもどそう。クレー射撃は、実猟での事故防止という思いなので点数はさほど気にならない。が、クレーに向かって銃がすっと上がり、1.2キロの引き金を絞った次の瞬間、きれいに割れると気分は爽快である。欲も得も無い、透明感のある爽快感と言えば分ってもらえるだろうか?この時のイメージを描きつつ弾を送るのだが、ライフル射撃のようなわけにはいかない。銃が振れなかったり、クレーを勢い良く追い越してしまったりと、後ろを撃ったり前を撃ったり、下を撃ったり…。これはきっと、熱意と、集中力の差だろう。あとはコーチの有無!そんなわけで、スキートは13枚、トラップ5メートルは23枚、10メートルは13枚だった。これではキジもヤマドリも逃げるわけだ。
 スポーツでも、釣りでも、あるいは仕事でも、上達には持って生まれた素質以上に強い向上心と熱意と集中力が求められる。が、一番大切なのは、コーチの存在であると私は思う。そして、コーチの言うことを真正面から受け止め、試行に移してみる素直な心が、絶対に必要不可欠である。これら向上心や、とりわけ素直な心は、乳幼児期から始まる長い成長の過程で育まれ、さらに醸成されていくのだ。だから、若いお母さん、お父さん、頑張って!いま、ここが踏ん張りどころですぞ!

明日は射撃の月例会?

 月に一度の月例会の日!実は先週だったのだが、射撃場のある地域が東電の計画停電に当たり、1週間日延べされたのだった。その日も、結局は停電は実施されなかった。一日当たり150万円の減収だと、射場長はボヤイテいた。停電といっても、私のようなリタイア組にはさほどの影響はない。が、営業している企業、会社、商店にとっては死活問題だろうことは想像に難くない。事実、テレビCMの本数は激減して、ACの放映ばかりが目立つ。この先、東電はどう補てんしていくのだろうか?新東電を立ち上げ、補償、補てんは旧東電に負わせるのだろうか?チッソの再来か?
 今回の震災が想定を超える大地震だったというが、現に度々起きているM7を超えたら大ではなかったか?今までにM9を超える地震が起きていた事実と、列島の地殻構造をかんがみた時、東電や、建設を認可した、時の政府の責任は逃れることはできないのではないだろうか。あくまでも市井の年寄りの感想にすぎないが。
 さて、私はもともとはスモール・ボア(22口径)伏射専門、つまり、精密射撃のライフルマンであって、クレー射撃は実猟のためだけだった。狩猟期間の11月15日から2月15日まではライフルに指一本触らない。2月16日が近付くと撃ちたくて撃ちたくてうずうずしてくるがじっとこらえたものだ。逆に、2月16日からはライフルしか触らない。朝早く射撃場に行き、静かなうちに撃つ。弾数は60発以内。1発1発を集中して撃つことが大事であって、数撃てばいいというものではない。もちろん、試合弾(私はテネックスを使っていた)で撃つ。練習の時にも最良の弾を使っていなかったら、エックス点(私が現役の時は10点円の中心に、1ミリの黒点があった)を外した原因が自分のためか弾のためかわからなくなるではないか!練習が試合である。当時職場のあった江東区への通勤電車の中はイメージトレーニングの場であった。50メートル先の標的を思い浮かべ、「目を開ける。銃のサイトの先に、同心円に標的が見える、呼吸をだんだん浅くし、3回目に息を止め、標的をかっと見つめ強い意志で、しかし70グラムの2ステージめの引き金を暗夜に霜の降りるように落とす。フォロースルーを取り、頭を傾け、スコープを覗く、エックス点のあったところに5,6ミリの穴!よし!10点と小さくつぶやく。」このような毎日を送っていたが、関東選手権は毎年8位。東日本選手権の千葉県代表になり、5位入賞が最上位レコードだった。その後管理職になり、選手生活を離れることになった。二人の息子にも「国体までは行かしてあげるよ」とささやいたが、長男はバレーボール、次男はバスケットへ進んでしまった。男の子は、父親のするようにはしないものだ。機会があったら自慢話や失敗談をづづけたい。

菜種梅雨

 昨日に続き、冷たい雨が降っている。この時期、菜の花の盛りの頃に降り続く雨のことを菜種梅雨という。日本の豊かな自然によって育まれた清く美しい日本文化を感じさせる言葉である。しかし、被災地にあっては、救助や復興を阻む恨めしい雨に違いない。一刻も早く、被災した方々に、温かい支援が整うように私も生活改善を考え、できることをしていきたい。
 福島原発の排水口のモニターに異常が現れているようだ。放射性セシウムは魚貝類の体内に蓄積されやすいと聞き、漁業関係者のみならず私のような釣り人も消費者も心配でならない。しかし、私などはおろおろするばかりである。
 さて、釣りのことを少し述べたい。3月は、まだ、1日しか釣行していない。4日の午前・午後と船に乗り、4.7キロの真鯛を釣ったきりである。前回書いたように、もし、11日に釣行していたなら港に停めた車は流され、、大原沖を一晩、漂流したことだろう。この道?十年の船長任せの贅沢な楽しみとはいえ、自然という偉大なサークルの中での小さな人間の営みなのだということを思い知らされる。一昨年来、ヒラメやイカ、イサキやフグの合間に通い続け、ようやく21回目にして手にした大タイ!思えば今まで、中りに対しての合わせで悩んできた。びっくり合わせではすっぽ抜け、弱いと巻き上げ途中でバレてしまう!仲乗りさんに聞いても、私の乏しい経験からは理解できない。釣行を重ねてわかってきたことは、潮や風により、道糸にたるみがあると、思いっきり大きくあわせても針先にはその力が十分に伝わらない。逆に、弛みがなければ、ドラグ調整がちょっとでも強い時の強すぎる合わせでは、テンヤのチモトで合わせ切れを起こしてしまうことさえあるだろうということだった。現に4日、大タイを釣りあげた直後の重い中りを合わせ切りしてしまった。あろうことか船長にしっかりとみられてしまった。どういうわけかバラした時、十中八、九は船長に見つかってしまう。不思議でならない。常に、冷静に、ドラグ調整をしてリールから道糸、リーダ-、テンヤまでが鮮明にイメージされていないと、せっかくの大ダイの顔をみることはできないだろう。想像力が求められる。
 さて、話をこの大タイにもどすと、テンヤの着底と同時にスッとしゃくったとたんにグッと乗り、そのまま走りはじめた。リールの引き出される快感に、途中、ドラグを緩めたりしてしまった。もちろん、「根に行かれちゃうよお、緩めちゃだめだお、切られちゃうよお」と船長に怒鳴られたことは言うまでもない。が、今までのレコードが1,8キロだったので、頬は緩みっぱなしでリールを巻いた。
 釣った魚はおいしく食べなくては魚に申し訳ない。が、まな板より大きい魚は捌くのに苦労する。市内に住む妹がクーラーを持ってきて、さばくのをまっていたが、まな板より大きな魚はリリースしたいといつも思う。なかなかできないのだが・・・。被災地の方々がのんびりと、日がな釣りを楽しめる日はいつ訪れるのだろうか?

一泊二日のタイ釣りに?




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 3月11日の未曾有の東北関東大地震。被害にあわれた方々の苦しみや悲しみ思うと何かをしないではいられない。東北のみならず、私の住む千葉県でも16人の人が亡くなり、多くの港が被害を受けている。
 その11日、前の週に4.7キロを釣らしてくれた大原㐂栄丸のブログを見ていたら、大タイ連釣の文字が踊り大タイを抱え込む某プロの画像が…・「予定通りに釣行すればよかった、呑みすぎるのではなかった」とぼやくことしきり・・・。うるさくなったのか奥が、「これから午後船に乗ったら。」とのたまう。かなりその気になったが、乗っ込みはこれからと言い聞かせてテンヤ針の針先を磨いて昼食後を過ごした。今時分が空いているから買い物に車を出してと奥が言うので近くのスーパーへ。買い物が終わり、屋上駐車場に停めた車に乗りエンジンをかけると同時に今まで経験したことのない上下左右前後の激しい揺れ!ヨーイングまで加わり、対面の軽自動車は動き出しているほど。すぐにエンジンを切りハンドルにしがみついた。車から逃げ出そうとする奥を引き留め、長い揺れに耐えた。これが東北関東大地震だった。幸い我が家は瓦が落ちるなどの被害もなく、本やなべの落下程度だった。もしも、奥の囁きに従い午後から沖に出ていたら…。車は流され、港に帰れたのは、早くて12日の昼ごろになっていたのではないか?津波の大波をやり過ごした後、陸を見ると、真っ白だったとは某船長の言。沖に避難できなかった船が転覆、大破したそうだ。「奥さんは予知能力がある。沖にアンタを出したかったのだろう。」とは口の悪い友人の言葉である。浮いた船代を救難・復興に役立ててもらいたいと考えている。
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