暗中模索、五里霧中、七転八倒の釣り日誌

多趣味な世捨て人が、釣りを中心に幅広く、無責任な独断を掲載。

2011年04月

花粉蔓延(2)

 雨上がりの今日は、天と地の間は花粉で埋め尽くされているに違いない。風の弱いことだけはありがたいが。
 我が家は、大谷石の塀とキャラの生け垣で囲まれている。大谷石の塀は、1年前に、高さを半分に下げてあったので、今回の地震でも崩れる心配はなかった。キャラのほうは、40年間、義理堅く毎年3月には、煙のように花粉をまき散らしてきた。切り倒してやりたいと思うが、木でも命あるもの、なかなか切れないでいる。そのうえ、4月末からは優しい真緑の新芽を一斉に伸ばし、それは見事であるから、ますます切ることができないでいる。
 世間を騒がしている花粉の多くは杉と檜である。その杉と檜のほとんどは植林されたものである。需給を見通して立てた植林計画が、現実の需給と大きく乖離してしまった今、森林開発を新しく策定すべき時に来ているのではないか?その時の視点の一つに、野生動物や、海、自然の景観を加えてほしいと私は考えている。
 話は変わるが、秋、11月15日を過ぎると、私は銃を肩に、愛犬と一緒に猟野に繰り出す。しかし、狩猟を始めたころに比べて猟野は年々狭くなっている。原因の一つにゴルフ場がある。山は削られてヤマドリの居た昼なお暗い沢が埋められ、見事なまでの芝に覆われてしまう。そこを住処にしていたヤマドリもコジュケイもシカもイノシシも住処を追われることとなる。今はゴルフ場になってしまった大原の沢を犬と登っていた時、突然、ヤマモミジの素晴らしい黄色や赤に出会ったことがあった。緑の苔の上には赤や黄色のモミジが舞い散り、空気までもが透き通る黄色や赤に染められていた。林道に出るや、吹雪のように、紅葉した木の葉が私と犬を包んだっけ。日本の山野は木々の種類が豊富で、そのことが錦織りなす見事なまでの秋景色を造っているとか。ぜひ、スギやヒノキの人工林だけでなく、雑木林を再現してほしいと願っている。
 「山は海の恋人」と言ったのは、畠山重篤氏である。豊かな山から流れ出す川につながる海。その海で育まれた牡蠣の味は絶品だという。山と海はつながっている。そして人間も。

花粉蔓延!

 数日来、花粉が地面から天井はるか高いところまで満ち満ちているようである。私は、スギ花粉では大したことはないのであるが、ヒノキとなるとまるで無防備!免疫力は0に等しい。人には「スギは大したことはない。が、ヒノキはだめだ!私は、君たち庶民よりグレードが上である。」といっている。
 今朝、老犬を連れての散歩では、マスクの中が、鼻水でベチョベチョになってしまった。目玉はかきむしりたいほどの痒み。動物たちも、痛さは我慢できるが、痒みは我慢できないというのが通説らしい。数年前に大量に繁殖した狸も、皮膚病で壊滅的な減少をしたという。実際、タヌキの足跡は少なくなったし、疥癬に苦しむハクビシンも目にしている。
 ところが、である。海の上で釣り糸を垂れているときは、不思議と鼻水も出ず、目の痒みさえもない・・・・不思議である。つまり、この苦しい現実から逃れるすべは船釣りしかない!と私は主張したいのだ。しかし、「なんと嘆かわしい、緊張感の欠如以外の何物でもない」と、友人は言う。心頭を滅却すれば火もまた涼し…と言ったとかいう恵林寺の快川禅師まで引き合いに出す。悔しいから言うのだが、もともとの出典は唐の詩人、杜筍鶴の詩である。それに、近年の日本中をすっぽりと覆ってしまうほどの異常な花粉は、林野行政の失敗に他ならない。早くあるべき生態系に戻さないと、山の続きにある海までもが痩せて包容力を失うだろう。
 昨日からは台風並みの強風が吹き荒れている。ブローのたびに揺れる、木と紙でできた築40年のあばら家は、余震も風も一緒くたである。明日は雨まで加わるらしい。到底沖に出られる天気ではないだろう。が、待て待て、東京湾ならもしかしてと、波情報を確認していると、「明日は銃検査に行くんでしょ」と奥が水を注す。することは見つかったが、明日もまた、鼻水と目の痒みに苦しむ一日になりそうである。

ブログ復活!

 尊敬する藤井克彦さんのブログが復活した。毎日の楽しみが戻ってきたといってよい。というのも、朝晩アクセスするのが日課だったし、その文章の美しさや、博識、何よりも釣り文化を愛する心意気に感銘を受けていたからだ。
 私が小学生のころ、昨年8月に他界した父に、タナゴ釣りや真ブナ釣り、チンチン釣りによく連れて行ってもらった。マブナやタナゴは、青光りのする小刀で開き、スズメ焼きにして食べた。チンチンは素焼きにして、堀炬燵にぶら下げて乾かす。母は、晦日から時間をかけて甘露煮にし、正月の膳を飾ってくれた。
 タナゴは、秋、イラガの繭を集めておき、中の幼虫をちり紙に挟み、鋏で切って体液を抜き、小さなタナゴ針に引っ掛けて鋏で切って小川のよどみに落とす。5センチ、10センチといったタナゴが50,60、時に1束と面白いように釣れたものだった。

 チンチンは、御宿港や鵜原港に釣行した。1週間、小川や田んぼの落ち込み、堰(農業用のため池)でモエビを捕り貯めしておく。当日は尾羽を前歯で切り取り、カイズバリ(とおもう。自信はない)に通しての脈釣りだった。モエビを入れる餌箱は竹で編んだ小さな籠である。針金を丸めて白い布を縫いつけて、蓋を作る。今でも一つ、どこかにあるはずなのだが…。針のチモトには、撚りを入れた赤の絹糸で輪をつくり、噛み潰しをかぶせ、小さな金槌で四角にたたく。細い道糸の先に、その針を結んだだけのシンプルな仕掛けは、一つテンヤそっくりである。釣行する日が近付くと、父は、小さな仕掛けを無言で叩いていた。たまに2歳と呼ぶカイズクラスがかかると、切られないように、緊張して引き上げたものだった。父は国鉄だったので、平日、休みがある。かなりの高血圧だったので、平日の釣行には母が同行した。二人で、352枚釣ってきたこともあったっけ。
 今夜は先日釣ったヤリイカのてんぷらと、山うどの天ぷら。トマト。あとは赤ワイン。藤井大兄には申し訳ないが、腹いっぱい食ってしまった。いつもの常で、炭水化物は・・・ない。言わせてもらえば、トマトは余分である。家庭菜園(60坪)で作るので、トマト、キュウリ、ナス、ピーマンは年間を通して買わない。そもそも冬にトマトなんておかしいでしょう、そう思いませんか?しかし、奥の言うことには、今日は、山となって、300円とか!思わず買ってしまったそうだ。これも、原発事故の後遺症?冷静に対応したいものですね。
 さて、私も、釣りに行きたかったのだが、就職16年目には管理職になり、4年後には職場長。朝6時には電車に乗り、帰宅は翌日という生活が17年続いた。9月から11月中旬までは、土日とも出勤。そんなわけで、なかなか釣りには行くことができなかった。初めて行った海は御宿港。釣った魚は大きなボラ!すっかり釣りのとりこになってしまった。冠状動脈が閉塞し、3年を残してリタイア!今は釣りと猟、射撃、家庭菜園の毎日になった。不謹慎極まりないが、さて、明日は何をしようかな? 

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