暗中模索、五里霧中、七転八倒の釣り日誌

多趣味な世捨て人が、釣りを中心に幅広く、無責任な独断を掲載。

2011年11月

エルを捜しに行かなくちゃ!

 エルの姿が見えなくなった。エルとはブログの背景に使っている猫の名前である。
 2週間ほど前、団地の入り口のほうへ向かってゆったりと歩いている姿を最後にいなくなってしまった。あちらこちら探しているうちに、2週間が過ぎてしまった。そうは遠くへ行ってはいないと思うのだが…。2週間もたってしまい遅すぎるのは分かっているが、行方不明になったペットを捜索する専門業者に捜索を依頼しよう!全くの室内猫で、外に出ることは心底嫌っていて、抱き上げてドアのほうへ向かっただけで必死で逃げ戻る猫だったのに。だいたい、団地からは引っ越してしまったあとなのになぜ団地なのだろうか…何かがおかしい?
 おかしいはずである。なぜならこれ全て今朝の夢だからである。12月2日で、エルが亡くなってからまる3年になる。賢い猫で、帰宅すると風呂場の出窓からしきりと泣いて迎えてくれた。多様な鳴き声で、意思を伝えてもいた。すらっとした長い前足を持ち、障害物は実にしなやかに飛び越えることが得意だった。しかし消化器系の病気を持っていたため、治療薬の入った食事を夜中も2時間おきに与えるという、乳呑児を育てるような生活をしてきた。が、最後はあっと言う間もなく、召されてしまった。わたしと奥とが見守る中で召されたことが、せめてもの救いであった。と言うのは、最初に飼った猟犬サースデイは友人の獣医宅で独り召されたからだ。
 夢に戻ろう!見えなくなって2週間もたってから捜索を依頼し、遅すぎたと後悔したのは、今までの私の人生に由来していることは間違いない。ことに接して判断に迷い、チャンスを逸してしまったり、より複雑にしてしまったり、多くの方々に苛立ちや不安を長い時間いだかせてしまったりしたことは枚挙にいとまがない。優柔不断を絵にかいたような人生だった。これからの人生は…と決意するが、リタイヤした今、残された時間は少なく、決断を求められるような場面も…そうはなさそうである。せめて船の上では海の状況や魚の活性を考えて判断を早くし、その判断を億劫がらず行動に移したいものだ。今夜は萬栄丸のクロムツを狙う!
 

夜が早くなった!

 朝も遅くなった。あとひと月で冬至なのだから当たり前である。が、これは、一つテンヤのじじいには致命的ともいえる状況である。と言うのは、朝マヅメ、夕マヅメのチャンスタイムに0.6号の道糸の色が見えないのである。探検丸で深さが分かっても、どれだけ糸が出ているのかがわからない!着底を見逃したら最後、行きつく先はお祭りや根掛かりである。今はLEDのヘッドライトの購入を考えている。
 夜が長い分、本を読む時間には不自由しない…はずである。しかし、最近は新聞さえ、2か所しか読まない。奥は図書館で借りる派、私は本屋で買う派なのだが、最後に買った本は「はやぶさ、そうまでして君は」。現職中は2時間の通勤電車の中で本を読んでいたので、蔵書は増える一方だった。老眼が進んでからは専ら、足りない睡眠の補給タイムになったしまった。
 子どもの頃に読んだ雑誌は、小学○年生、日の丸、冒険王、…そんな私だったが、ある日、「吉田松陰はひと月に125冊の本を読んだ」と聞いて、図書館に足を向けるようになった。そこで手にしたシートン動物記やファーブル昆虫記を夢中になって読んだ。勢いわが家は昆虫の住処になった。子どもたちにその経験を話す機会があったが、「君たちが育てているアサガオだって稲だってアオムシだってカイコだってみんな生きている。植物を育て昆虫を飼うということは、実は命を育てていることなのだ。」と話した。こんな感覚はシートンやファーブルによってはぐくまれたのかもしれない。 
 そのあと岩波少年文庫を読み、中学では龍之介や漱石。 高校では図書部に籍を置いた。人並みに恋に悩んでいた時、担任から勧められた「学生に与ふ」が懐かしい。○○文庫100冊の本も読んだ。謝恩会で「漫画にもいい漫画とそうでない漫画がある。オバQを読むならアトムを読め。」と言った若い日本史の先生の顔が目に浮かぶ。
 学生時代(新潟市)は下宿の壁一面を畳から天井まで本を積んだ。しかし新潟を去る時、ほとんどの本は後輩に譲り、自分はミカン箱1杯の本だけを持って帰省した(これは北杜夫のまねと思う)。松本清張や野間宏、吉本隆明、小田実,
遠藤周作・・・・かなり適当な本選びだった。こんなわけだから、本が人生を決めたなどと言うことはなかったが、ベトナム反戦デモに加わったり、想像の翼を広げたり、豊かな気持ちにさせてくれた。釣りにも行けなくなったら、中断している読書にまた戻りたいと思う。まだ釣りに行ける明日は萬栄丸のクロムツに予約を入れた。

情報収集力

 㐂栄丸が10月から操業を再開していた。13日の夜、他の船宿のブログを見ていて偶然見つけたのだ。早速翌朝電話を自宅と携帯と両方に入れたがつながらない。やはり…と思っていると間もなく船長から電話が入った。「やってんの?」「やってますよ、今日来ない?」「行く行く!何時?」「11時!」「11時かあ!」「待ってますよ!」「わかった急いで支度するから」てなわけで大原へ車を走らせた。
 11時ジャストに港着!一番最後だったが右舷艫に釣り座を確保してくれていた。走る船の上でコンビニ弁当を掻き込むと直にスローダウンしてポイントについた。水深10メーターである。濁りよし!潮はトロ~り?風は強い。3号テンヤを投入するときれいにエサがとられた。「よしよし、食い気があるようだ。」と一人合点して投入を繰り返す。そのわきで船長は次々と500gクラスを釣り上げる。相変わらずうまいものだ。テンヤは2号?かな。でも2号はちょっと自信が…なぁと思っているとコツッと小さなあたりが来た。すかさず合わせるとタイの真下に引き込む引きが来た。最初ドラグがわずかに鳴ったがあとはそんなこともなく、が、最初の一枚、魚の引きに合わせて丁寧に巻き上げ500gを取り込んだ。私は、竿は60度ぐらいをキープしてやり取りする。この方法が一番バレが少ないように思う。以前、ポンピングでテンションを緩めた途端にばらしたことが続き、以来、ポンピングせず、竿は立てたままやり取りする。魚が走った時など、思わず竿を倒したくなるのだが、ドラグを信頼して、竿は立てたままこらえる。
 この日、一度だけ根掛かりかと思うような中りがあったがほんの1.2秒喜びを感じただけでフックアウトさせてしまった。この時も船長にしっかりと見つかってしまった。実によく見ている。その後、合わせそこなったテンヤを回収しているとき強烈な中りで、案の定イナダがかかった。「竿を倒して竿先までイナダを巻いて・・・・・ハイ!抜いて。」と船長に指示されながら45センチを抜きあげた。このイナダ、意外と脂がのっていて旨かった。ワラサクラスなら一層旨かっただろう。結局タイは500グラムを頭に12枚。と、船長からのご祝儀多数。大原通いが始まりそうである。
 㐂栄丸再開にひと月も気づかなかったことへの反省!それは、情報を二つのHPだけに頼っていたことに尽きる。もっと多くの情報を検索していれば、すぐに知りえたはずである。また、㐂栄丸休業後、一つテンヤへの意欲を簡単に失ってしまったことも、その後の情報収集を怠惰にさせていた。これはわたしの精神的弱さが根っこにあったからである。

小型船舶操縦免許更新!

 来週の水曜日、16日は小型船舶操縦免許の更新講習を受けに行く。手漕ぎボートアジ・キス釣りから、船外機、そして今は遊漁船の沖釣りにと変わったが、沖釣りは敷居が高いものと勝手に決め込み、2、3年はもっぱら船外機を利用していた。
 海は岩井の沖。高崎漁港で船を借り、アジ、イワシメバル、キス、カワハギ、コチ、イサキ、ヒラメ・・・・さまざまな魚を釣った。アオリイカや丸イカも釣った。30何センチかのカワハギを釣ったこともある。奥は巨大なイサキや50センチのアマダイを釣り上げた。1メートル近いスズキをトローリング?で釣ったこともあった。
 しかし、一度遊漁船に乗ると、その豪勢な遊びにどっぷりとはまってしまった。豪勢と言うのは、この道?十年の海を知り尽くした船頭さんが、魚の居るポイントに連れて行ってくれて、「さぁ釣ってください、この下に魚が待っていますよ。」「合わせはこうですよ。」「仕掛けはこうしたほうがいいでしょう。」というのだから、こんな贅沢な遊びはないと思うのだ。魚探もGPSも使って岩井のポイントはかなり知ることができたとはいえ、手前船頭の船外機にはもう乗れないような気がする。
 だが、今回、小型船舶操縦免許の更新をすることにした。かなり望み薄なのだが、一つの夢がある。それは、いつか孫が生まれて大きくなり、私がまだ元気だったら、孫を船外機船に乗せ、舟遊びをしたいという夢である。もちろん竿も出す。藤井さんのブログには度々お孫さんとの釣りの話題が登場していて、羨ましくなったのだ。危ないと反対されそうだが、息子たち夫婦も港や渓流で釣りをしているようなので、父兄同伴なら許されそうな気がしている。あと10年、頑張るぞ!

秋鯛を満喫!

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 400グラムと500グラムのタイで今夜の夕食はにぎわった。小さいほうをばばが、大きいほうを私ら夫婦が、骨までしゃぶってしまった!タイに生まれなくてよかったとつくづく思う!刺身にした残りのアラをさっき煮込んだが、しょうがの香りも高く、味のしみる明日が楽しみだ。残るはあと1匹。タイ飯か、やはり刺身か!
 わたしは、食べたくなった魚を釣りに行く。イサキが食べたくなるとイサキに、フグが食べたくなればフグに、ヒラメ刺しがいいなと思うとヒラメにといった調子だ。だから、どの魚にしても、中途半端な腕前になってしまう。が、それでいいと思っている。食べたい魚が、そこそこ釣れればと考えるからである。1魚種に限って釣行を重ねることが釣技を磨くことになると知ってはいるのだが、食欲には勝てない!意地汚いのである。意地汚さはばばからのDNAかもしれない。とすればなおのことである。これからも食べたい魚を釣りに行くことになるのであろう。

テンヤ真鯛・・・幸丸

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 9日、幸丸に釣行!例によって4時半の受付時間ぎりぎりに駐車場に車を止めると、「おはようございます。鯛でしたよね。」と社長の声。「最後?」と聞くと「はい、最後です。」と返ってきた。名簿を見ると17番目であった。港に行くと、2隻目の左舷胴の間を支持され、セットした。
 行程40分でポイントに到着。早速第一投!10メータを超える風の中だったが、「潮流れず!」を感じた。と言うのは、艫に向かってキャストしてテンヤを送り込むと、風で流されている中で着底し、糸が立つ瞬間があった(その瞬間に中りがあったのだが)。その時の探検丸の示す深さと、道糸から類推される深さがほぼ一致したのだ。道糸がじっとしている感じと言えば分ってもらえるだろうか。しゃくれば、1メートルぐらい道糸を送り込まないと着底しない。それは船が流れているからだが、船の流れた分しかテンヤが動いていないような感じなのだ。うまく伝えられないが、一つ成果があったと思う。
 船長は若船長!明るくて人当たりもよく、面倒見も良い!しかも、操船の合間にちょこっと竿を出しては必ずタイを釣り上げてみせる。遊漁船の船長の条件を満たしている若者ではないだろうか。いい跡継ぎに恵まれた、いや、跡継ぎを育てたものだ。
 釣行の結果は400グラムから850グラムまでのタイを18枚で竿頭!明確な中りから、底でムズムズているようなあたりまで掛けることができた。しかも、上あごに刺さっているタイが多かった。この日は大きくはしゃくらずに、50センチぐらいをスーとしゃくって誘い、中りを出して掛けた。しかし、バラシも多かった。掛けて重さを感じた直後に、軽くなってしまうことがままあったのだ。そんな時に限って、ずしんと重く良型を予想させるのだから、テンションはいやが上にも上がってしまう。また、中りが遠いと思って巻き上げると、きれいに食い逃げされていて、中りを見逃してしまったことも多かった。そんな見逃しの中には良型の中りも必ずあったはずである。まずは中りを見逃さないことであるが、それが難しい。しつこいようだが、「私には大鯛が食ってこなかった」と考えるのではなく、「わたしにも大鯛が食ってきていたはずだ。その中りを見逃してしまった。」と考えることが釣技を磨くうえで大切なのではないだろうか。この日のテンヤは5号を使った(3号では自信がなかった)。蛍光グリーンのペイントと、ゴールド・ラメのマニュキュァでデコレーションしたものだ。孫針のチモトには蛍ムラのソフトビーズを付けたが、これは藤井さんのブログを読んで真似をしたものだ。テンヤの出所は㐂栄丸!18枚を釣り上げ、なお爪の上で滑らない!いいテンヤである。しばらくは㐂栄丸のテンヤは手に入りそうにない。ストックを大切に使っていこう。ほかの方々は8号ぐらい?のタングステンを使っていたようだった。そうそう、テンヤから20センチほど上のハリスがザラザラになっていて、テンヤを結びなおしたことがあった。孫針のハリスだけでなく、リーダーや道糸も時々点検したい。
 6月29日、㐂栄丸に釣行して1.3キロのタイを釣って以来のテンヤ真鯛だったが、成果も課題もあった幸丸釣行だった。ご近所と叔父にもおすそ分けをし、喜んでもらえた。わが家はタイの握りずしを奥が作ってくれた。84歳のばばは相好を崩して食べ、「次はいつ釣りに行くの?週末?」とのたもうた。ばば、そんなに体力も金力も続きません!
 

ショウサイフグ…鹿島港長岡丸

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 2日は鹿島港長岡丸にショウサイフグを求めて釣行した。長岡丸は釣行2回目である。前回は82匹を釣り竿頭に成らせていただいた。2日朝は、千葉市を3時30分に出発し、4時50分に港に着いた。白いテントで受け付けの時に様子をうかがうと、「ひところより数は減ってきてるけど、50くらいはね。」との女将の答えが帰ってきた。「じゃぁ30くらいかな。」と謙遜して答えたのだが、結果は32匹(1匹脱走)!「よし、50更新だぁ。」ぐらい言えると釣果も釣技も伸びるのだろうけれど、気が弱くて素面では言えないセリフである。
 釣り人は5人。好きな右舷ミヨシに陣取り、竿をセットした。出港までヒラメ船の釣り人としばし歓談。昨日の初日は20枚くらい釣れたらしい。イワシをけちる船宿ではないのだけれど、最後のほうはイワシが足りなくなったらしい。2日も、700匹のいわしを積み込んでいた。
 定刻5時半に出港!目指すポイントまで約40分か!空も十分に明るくなった頃ポイントに到着。大船長は「餌をつけて用意してください。」とアナウンスして群れを捜す。まだ海底は薄暗いだろうと考えて、蛍光グリーンをチョイス。カットウは2段。1段で釣っていたのだが、寄る年波で反応が遅くなってしまったらしく、23センチの2段目に掛かることも、最近は増えてきてしまった。この日も2段目に掛かったフグがいくつかいた。
 やがてどうぞの合図で投入!30メートル下のフグに送り込む。着底!20センチほどスーと聞きあげる!ゆっくり下す…が中りは来ない。何度か繰り返すうち、コツッとかすかな中りが来た。すかさずそのままスッと上げ、カットウにかける。ずしりとした重量感が伝わり、やがて良い型のショウサイフグが白い腹を見せながら上がってきた。我ながら中りへの反応は良かったようだ。肩に力の入らない素直な反応だったように思う。しかし、今日のフグ、かなり食いが浅いというか中りが小さい。苦労しそうな予感が…。
 予想通り、中りはあるのだが中々針掛かりしない。「反応はあるんですけどねぇ。」と大船長はぼやく。はいはい、分かっております。釣り師がへぼで、掛けられないだけです!事実、入れ食いもたびたびあったのだが、その割に掛けられない。仕方なく、船長は新しい群れを捜して走り回ってくれた。
 終わってみれば10から32で一応竿頭!巨大なフグも2匹釣れた。しかし、入れ食いの時にかけられず、反省の多いフグ釣りになってしまった。
 帰るとすぐ開いて中骨を抜き、5パーセントの塩水に15分つけて一晩干した。風がないため、物干し台に扇風機を引っ張り出して乾燥させた。あくる朝、早速、桜のチップで燻製にして食した。絶品!!お試しあれ!中骨でだしを取り、鍋にするのも楽しみだ。

生産意欲・・・2

 9月8日のブログには、放射能の心配から野菜の作付の意欲がわかないと書いた。いつもはお世話になっているご近所の方々に野菜を届け、「みずみずしい」とか「甘みが違う」とか言っていただき、評判にもなっていた。それを励みに野菜つくりに精を出していたのだった。それが、「この時節、もらったほうも気味が悪いだろう」と友人に言われ、確かに!と思い、今年は自分の家の分だけを作付けしたのだった。農家の方々は皆さん、自分の生産する野菜にはプライドを持っている。そのプライドを打ち砕かれた原発事故だったのだ。ちなみに、プロの農家は、土つくりから作付け、使用した農薬の種類、濃度、回数、散布した日付等を詳細に記録している。母子手帳か育児日誌のようなものである。
 さて、今日は今季最後の巨峰2房を収穫した。土用を過ぎて開花した房で、身も小さいし、皮も厚い。去年は、父の葬儀やら納骨やらで、ハウスの中もジャングル状態!気が付いた時には巨峰はすべてハクビシンの腹に収まってしまっていた。わずかに残ったのは、デラウェアのような房が5つ6つ!
 今年は、ほとんどの房には袋をかけ、とうもろこしを食われた後はトラップをかけてハクビシンを威嚇した。その成果か、とうもろこしを食われた後はハクビシンの気配はない。が、袋かけしなかった房が消えていく。皮が落ちていないのでハクビシンではなさそうだが・・・と、ネズミの姿を目撃した。そうか、今年はネズミか!ま、袋掛けしたし、あいつはバカだから袋掛けのものまでは食えないだろうと楽観していた。ところがである。そろそろ収穫時期かなと思い、袋に手を伸ばしたら袋に全く手ごたえがない。よく見ると袋の肩が食い破られ、中には房の軸しかない!愚かな年寄りよりもネズミのほうがはるかに利口だったわけである。100をこえる房は全てネズミの腹に収まってしまった。なんのことはない!去年はハクビシンのために、今年はネズミのために、剪定をし、肥料を施し、幹の皮をむき、消毒をして、せっせと袋掛けをしていたことになる。
 安房、上総のほうではシカやイノシシ、サルの食害に農家は泣いている。フェンスを張り巡らしたり、電気柵を張ったり。それでも防げない。一年を通じて有害鳥獣駆除をしても適正個体数を確保できないで、生息範囲は広がり、被害は増すばかりである。農家の方々も生産意欲をなくし、無気力に陥るのではないだろうか!
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