暗中模索、五里霧中、七転八倒の釣り日誌

多趣味な世捨て人が、釣りを中心に幅広く、無責任な独断を掲載。

2011年12月

㐂栄丸で納竿!

 30日、午後船に乗った。港に着くと、12,3人が船の帰りを待っていた。ご存じのとおりの小さい船だから沈むのではないか!まあそんなこともないが、結構な盛況振りである。やがて港に来た幸ちゃんに聞くと、午前船は6人ものドタキャンだったとか!さては海上強風の予報に恐れをなしたか!北だから波は立たないだろうけど、強風では中りがとりずらい。しかし、この時期、北ないしは西の風が吹きまくるのは仕方がない。職漁に7日しか出船できない月だってままある外房の海である。
 12時近くなって帰ってきた船はガラガラである。艫にはテレビでよく見るカモフラージュカラーのプロの姿があったが、釣果には恵まれなかったらしい。そのプロの後に、田辺プロが入った。去年は度々お会いしていたので、挨拶をし、オーバルテンヤの親針について疑問を尋ねてみた。すべてはバランス!あと、針は小さいほうが警戒させないという答えだった。確かに食い渋りの時は、針を小さくしたりハリスを細くするのは釣り師の常道である。私の席は最後まで空いていた操舵室のそば、胴の間に陣取った。セットしながらほかの釣り師を見ると、右舷7人は全員オーバルテンヤである。私は・・・テンヤのケースを忘れて、船べりにあった船長の?オーバルテンヤ3号をお借りした。あと、「4号でいいでっしょ。」と㐂栄丸オリジナルテンヤを2個プレゼントされたので、それで行くことにした。
 御宿は岩和田まで行って投入となった。水深は18メータ。艫2番の釣り師の竿が大きくしなった!さては大ダイか!続きは後程。

相次ぐ別れ!

  昨日朝、ラッキーをお骨にした。エルもお世話になった佐倉のペット霊園。ご住職がお経をあげ、引導を渡してくださった。天に上がる煙を眺めながら、96年の10月も末だったろうか、エルとラッキーが部屋の中でじゃれあっていたのを思い出していた(エルは6月、ラッキーは9月3日生まれ)。幼いながらもエルに向かってポイントするラッキーがいた。次の瞬間エルはひょいと高いところに逃げてしまう。エルを見上げて「クーン、ク~ン。」と鳴いていた。ラッキーが疲れて眠ると後ろからラッキーのシッポに前足でちょっかいを出すエルがいた。いつまでも仲の良い2匹だった。天ではサースもエルも待っていることだろう。77忌は2月14日になるそうだ。これだけはしてあげたい。
 お骨になったラッキーとともに生前お世話になった佐倉犬舎に挨拶に行った。当主も、ラッキーをかわいがってくれた奥さんや親父さんも皆さん元気だった。ラッキーの才能を引き出してくださった方々にお礼を言って別れた。ひとつひとつすべきことを済ませていくと、ふと、悲しみがこみ上げてきた。
 家に帰るとお向かいさんの駐車場に、見慣れないワゴン車が止まっていた。部屋にはカーテンが引かれていた。もしかすると、と思い2階から見ると黒い服が見えた。おばあちゃんがご遺体になって戻ってきたようだ。夜、奥と一緒に弔問に伺った。いつもニコニコと笑顔を絶やさない上品な方で、わが家の伽羅の生け垣の下までお掃除してくださった方だった。釣果のおすそ分けをお持ちしても「まあ、まあ。」と言って喜んでくださった。87歳になるが杖も使わず、とても元気だっただけに、なんとも割り切れない。ここ2,3年は悲しみばかりがやってくる。

凡夫の悲しみ!

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 ラッキーが死んでしまった。月曜の朝入院させ、今朝会いに行こうと支度をしていると電話が入り、死を告げられた。月曜の夕方は病院の周りを散歩でたのだそうだが、昨日の午後からは食べ物を飲み込むこともできず、四肢がマヒして、保温しても体温は低下してしまったらしい。脳腫瘍か脳障害が一番疑われる症状だと言われたが、悲しいかな私には様々な兆候が見抜けなかった。苦しむこともなく、眠るように死んだらしい。15歳と3か月!猟期は骨と皮になるほど使役される猟犬にしては長命であった。健康管理が良かったからだと獣医さんたちには慰められたが、死をむかえるときにそばにいてやれなかったことが悔やまれれてならない。前のサースの時も入院させていたものだから、そばにいてやれなかった。そばにいて、「大丈夫だよ、怖くないよ。」と言ってあげ、体をさすってあげたかった。以下はサースが死んだとき、知人の依頼を受けて書いた駄文の抜粋である。

  ・・・・・4月のはじめ、かわいがっていた犬を亡くした。ここ3年ほどは座敷犬になっていたので、世話をしていた父や母の悲しみようと言ったらなかった。母は、骨壺を抱いて「こんなに小さくなっちゃって。」と言ってはまた涙を流していた。たかが犬なのだが、大切な家族のようにおもっていたのだろう。
 思えばこの犬は、私が初めて飼った犬だった。金魚や小鳥をのぞけば、初めての動物だった。61年の生まれだから14歳。当時私も36歳。互いに若かった。すでに兄弟犬は皆亡くなっている。今は一緒に天空の野山を元気に走っているだろうか。
 趣味で始めた狩猟のために飼い始めたセッターの猟犬だったが、新米ハンターの私によく雉やコジュケイ獲らせてくれた。一緒に鳥を追って野山を歩いたことが思い出されて懐かしい。年老いてからは半日の出猟になり、それも2時間になり、やがて1時間になり、最後はよろけるようになってしまった。それでも雉の匂いを追って一生懸命に探していた姿を思い出す。 
 いよいよ具合が悪くなって病院へ向かう車の中で、不安そうに頭をもたげていた。点滴も入らず、血管から直接入れることになった。そうしても2、3日だろうという。奇跡を信じて入院させたが、分かれるときもう一度頭を上げた。その時の澄み切った黒く大きな目が今も目に浮かぶ。翌朝、眠るように亡くなったと知らせが来た。独りで死んでいったことを思うと胸が締め付けられる。私が山中で迷うと、迷ったことがわかるらしく、そばをけっして離れようとはしない子だった。最後の時、心細かったのではなかったろうか?寂しかったのではなかったろうか?怖かったのではなかったろうか?そばにいて、「怖くはないよ。」と言ってあげることが、生きて後に残る者の務めではなかったか。思いやりとか、優しさとか、相手の身になってとかよく言ってきたけれども、一番必要な時にそばにいてあげられなかったことが、悔やまれてならない。取り返しのつかないことをしてしまった。まだまだ未熟だと思い知らされた愛犬の死だった。まもなくゴールデンウイークである。一緒に渉猟した野山に少しずつ散骨しようかと考えている。・・・・・

 
 また同じ過ちを繰り返してしまった。4,5日で退院するだろうから、以後は座敷犬にしようと奥と話していたのだが…。老いると病状は急変する。サースも、エルも、ラッキーも。そして父も。症状を自分の言葉で言い表せない者たちへは、周りにいるものの細やかな言葉かけや観察だけが頼りなのだった。自宅に戻ったラッキーはまるで生きているようだ。明日の朝、お骨にする。

ラッキーが入院!

 ラッキーは2頭めに飼った鳥猟専門のポインターである。一週間前から下痢をし、土曜日から粘液状のものが混じってしまった。金曜日には獣医に診せたかったのだが、週末は奥が留守になり(寝たきりの97になる実母の介護に週末は里帰りしている)、私は私で実母の介護があり、奥の帰ってきた月曜日になってしまった。「もっと早く、せめて2.3日前に来てくれれば。」と言われてしまった。下痢のきっかけは、食が細くなってガリガリに痩せてきたので(これは現役時代からである。昨年引退して実猟には出ていない。)、以前下痢を招いた缶詰ではあったのだが、それをドッグフードになすりつつけて与えたのだ。ともかく食べさせなくてはと考えてのことだったのだが、良くなかった。アレルギーに近いものだろう。食欲もあり、意識もしっかりしているのだが、土日で足腰がフラフラになってしまった。よく獲物を追い詰めてポイントし、数えきれない雉やコジュケイを獲らしてくれたポインターだった。現役時代、半矢を回収できなかったことはただの一度もないし、どこかのハンターが半矢にした雉も回収してしまう。猟友は「盗まれないように気を付けたほうがいいぞ。」とまで忠告してくれたほどの犬だった。最後は座敷犬にして、のんびりさせてやろうと考えているので、なんとか下痢が収まってほしい。獣医は鉄砲仲間だし、前のセッターのサースも猫のエルもお世話になっているので、任せてはいるのだが・・・・。正月は「家族」そろってのんびりと過ごしたい!ラッキーも無論「家族」の一員である!が、サースでは取り返しのつかないことをしてしまっているので、同じ轍は踏みたくない!この話は次回に。

冬休み?

 早、学校が冬休みに入ったようだ。手をつないで出かけるお隣のお嫁さんと1年生の息子さんに出会った。「もう休みかな?」と聞くとお嫁さん「ええ。」と言って苦笑い!まあ、20日も休みとなると、母親の苦労は予想がつく。だが、夏休みとは違い、冬休みには正月がある。それぞれの家庭のしきたりや家風を伝える良い機会ではないだろうか。以下は、以前知人に求められて書いた拙文である。

 ・・・・・2学期の終業式では、「正月は日本の伝統文化に触れる良い機会である。正月料理をたくさん食べたり初詣に出かけたり、親類の方々と楽しく過ごしたり、たくさん遊んでいらっしゃい。」と子どもたちにお話をした。むろん学校での話であるし校長の訓話であるので、2学期の学習の未達成なところの復習をしなさいとか、通知表はおうちの人と一緒に見なさいとかいった話も忘れない。しかしこれは付け足しである。聞いてその通りにしようなんて子どもは何人いただろうか。
 私は、普段は神仏には縁遠い生活を送りながらも正月だけは例外であり、千葉市で初日の出が一番美しいところに陣取ることにしている。また、一富士二鷹・・・・とかいうほとんど奇跡に近い初夢にも期待をかけ、あいさつ回りや初詣に出かけ、大概は実家で雑煮を食べる。
 また、甥や姪たちは父母だけでなく、祖父母や叔父、叔母にまで恭しく新年のあいさつを述べるのである。しかしその心根はお年玉という極めて俗なるものを目当てとして、年に一度の歯の浮くようなあいさつを述べるのである。守銭奴の様な甥や姪たちである。子どもたちにとって冬休みの2週間は、そんな虚々実々の中で私腹を肥やしつつ各家庭の文化と伝統に染められるまたとない貴重な日々となるのである。
 雑煮の話に戻るが、私の実家ではしょうゆ味の丸もち。だしは鳥。ニンジン、大根、八つ頭が入る。大きめな湾に盛り、鰹の削り節と、青のりのもみのりをかける。妻の作る雑煮は一、二度食べた記憶がある。私は千葉県、妻は九州。味も見た目の好みもかなり異なる。普段はろくに顔を合わせることもないし、猫のこと以外には言葉を交わすことも少ない夫婦のため、問題化はしない。 しかし、正月は比較的一緒にいる時間が長いので、いろいろなことが顕在化してしまう。たとえば下着のたたみ方がその一つである。私はまず縦に二つ折りにする。次に袖を折る。そのようにしてたたむと何枚でもきちんと重なり、まっすぐに立つ。美しい下着の山である。妻は横二つに折りたたむ。ものによっては二つ折りの後丸める。美しくない!が、妻はこれが合理的だとのたまう。いまだに好きになれないでいるのだが、そんなものかと最近は思うようになった。そんな妻だが、煮魚は母のものよりうまい時がたまにある。我が家の味が産まれつつあるのを感じた一瞬だった。
 それぞれの家庭に長年かかって出来上がった味があり、習慣がある。その家の文化ともいえるだろう。その文化の凝縮したものが、正月に表出される。正月だからこそ味わえるわが家の文化がある。正月でないと体験できないことにたっぷりと触れられたらいいだろうと私は思う。異文化理解は家庭からというわけである。

ジョンウェインは日本にもいた!

  22日のタイ釣行は空振りに終わってしまった。35メータラインでよい中りはあったのだが手にすることはできなかった。釣果はリリース1、手のひら大が3、ショウサイフグ1。船長からソゲをもらったり幸ちゃんから小鯛をもらったり、歳暮用のタコを4杯買った魚屋からワラサクラスのイナダをもらったり…。なんともみっともない一日になってしまった。
 小鯛は開いて、8パーセントの塩水に1時間浸して一夜干しにした(ちょっとしょっぱいかもしれない)。ばばは「お前は本当にきれいに作るね、お父さんと違って。」と言ってくれる。が、そんなことはない!はるか昔、半世紀以上も前になるが、タナゴ釣りに行ってきた後の父は、青光りするような切り出しナイフで小さなタナゴを、それは見事に開いて竹串を打ち、スズメ焼きを造ったものだ。父のわきで見とれている幼い自分が鮮やかに見えてくる!
 昔の父親達は何でもできたように思う。私の父も、友人の手を借りながら風呂場を建てたり、濡れ縁の上に1間幅4間ほどの土庇のような屋根をかけたりしていた。なにも西部劇の中のジョンウェインだけでなく、日本の父親だってたくましく何でもやってのけた時代が、かつてはあったのだ。それに引き換え今の私は…。Do It Yourself  を世の中の人みんなが始めたら資本主義社会が滅ぶなどとうそぶいていて縦のものを横にもしない!
 いつの頃から世の父親たちが私のように堕落してしまったのだろう?思うに、昭和39年の東京オリンピックの頃、高度成長期を迎えて、猛烈社員などと言う流行語が流行ったころから父親が家族の前から姿を消したのではないか?月給配達人などとさげすまれ、それも銀行振り込みになるとますます父親の影は薄くなってしまった。途中、中流意識がはやり家族全員がゆったりと乗れるワンボックス車が売れた時期もあったにはあったが、火は熾せても風呂場を建てられる父親は現れなかった。今日は鉄砲仲間からカモをもらった。家は造れないが、魚と野鳥は捌けるぞ!負け惜しみにもならないか!

明日は㐂栄丸へ!

 ちょうどお昼頃だったか、㐂栄丸の佐藤船長からお誘いの電話をもらった。明日は㐂栄丸で頑張ってきます。そろそろ深場を狙うのかな?それとも10メーターという超浅場狙いか?潮が澄み澄みらしいから深場かな?いずれにしても、楽しみだ。22時を過ぎたが眠れない!
 飯岡幸丸では、今日のフグ船は2杯出したらしい。それはそうだろう。昨日は63-80とHPに掲載されたのだから。宿に帰り、昼食のカレイライスを食べながら、「明日はお客さん、大勢来るよ。」と、女将さん連中に予言していたのだ。でも、私ももう一人の方も並み以上の腕前ですぞ。私の65は空合わせなしですからね。これは明らかな自慢でした。

いよいよ飯岡のフグ始まる!

 19日、待てど暮らせど㐂栄丸からの出船を告げる電話がない!そこで、20時を回ったところで、幸丸に電話を入れ、このところ模様の良いフグを申し込んだ。船に乗ってから知ったのだが、その時点では私一人だけだったらしい。あの大きな船を半日動かし、経験豊富な船頭さんを付けていては、いかに港に近いポイントとはいえ油代すら出ないだろうに!結局20日は、釣り客2人と、社長の三男坊を載せて定刻に河岸払い。3.5マイルの屏風ヶ浦沖で釣り開始となった。16メータから18メータ。多少根掛かりはあるが底を狙ってほしいと、実川船長の指示だ。重りは、薄暗いし濁りも多少あるようなので、蛍光グリーンをチョイスした。誉田に住むというもう一人の方も蛍光ホワイトをセット。
 6時ちょっとすぎに釣り開始!「ちびも混じりますがそれは捨てて(リリース)ください。」と船長は言うが、私は、沖上りになってクーラーにしまう段でリリースすることにしてたるに入れておくことにした。何匹掛けたかが知りたかったからである。
 例によって、20センチほどスーッと誘って中りをだし掛けるというスタイルで、この日は65匹を釣ることができた。もう一人の方は63。だが、長短2本のカットウ針を出していた(私は中通しの直結2段針)ため、良型のフグには2本とも刺さってしまう。カットウ針を外すのに手間取って手返しが悪かったようだ。それがなければ80定量だったに違いない。しかもこの方、立派なマゴチとマコカレイという美味しい外道を釣り上げた。う~ん羨ましい!実川船長も途中竿をだし、大きなタコをかけたが水面でナチュラルリリース!残念だった。社長の三男坊は80!短く鋭い合わせを入れながら、流石である。
 沖上り直前に、「これから捌きますので、釣り続けていていいですよ。」とアナウンスがあり、魚を取りに来たので、「ちびはリリースしてください。全部でいくつ掛けたか知りたかったのでプールしただけですから。」と告げた。一人で200匹以上を捌くのも大変な作業だろう。こちら二人は釣り時間延長で、にこにこ顔!が、ここでアクシデント!カットウ針を切られてしまった。恥ずかしながら、久しぶりのフグ釣行。重りのケースはバッカンに入れたのだが、カットウ仕掛けを置き忘れてしまっていたのだ。「仕掛けをください。」と告げると、「じゃ俺の使ってくださいよ。」と言って、船長が竿から外して持ってきてくれた。見ると、同じ青柳カラー(日が上がってからは、赤や青柳色が良かった)だが、20号?小ぶりなおもりだった。このおかげで良型5匹をさらに追釣出来た。
 夜は厚めに切ったフグ刺しに、塩焼き!絶品!ばばの喜ぶことこの上なし!始まったばかりの飯岡のフグだが、正月用、なべ用に、もう一度行かなくては!小ぶりなものを20匹ほど一夜干しにした。此方も楽しみだ。今日の昼には、下の妹がクーラーを持って、太田からやってくる。

ヒラメのから揚げ!

 週末、例によって奥は寝たきりの母の介護に。退職してからは毎週続いている。休んだことは、白内障の手術をした時くらい…かな?と言うわけで、土日は母(こちらは私の実母)と二人きりなのだが、今週は妹が泊りがけで介護に来てくれた。おかげで食事や洗濯、トイレの世話等からは開放された。
 朝食だと起こされるまで布団の中でまどろんでいたし、朝食後もまた、布団にくるまって昼食だと起こされるまで朝寝?を楽しんだ。
 1時に入浴介護サービスが来たが、その時も布団の中だった。3時過ぎに、長男がクーラーを持って、昨日16日のタイと、14日に釣り上げたヒラメを取りに来た。ヒラメは1キロ900有るので、エンガワも十分とれるだろう。タイだが、残念ながら、デコタイ=花ダイである。真鯛も2枚釣れたのだが、ギリギリ手のひら大!あとは大ウマズラ。でもまあ、夫婦二人とヨークシャーテリア1匹だから十分だろう。
 14日のヒラメは明広丸である。根の間を流し、大物を狙う釣りであることは前回のブログに書いた。この日も同じ釣法で、仕掛けは4組、重りは2個ロストしてしまった。釣果は5枚。3キロ、1キロ900、980gにソゲ2枚だった(ソゲはリリース)。ヒラメ3枚にソゲ2枚と言い直すべきなのかもしれない。頭は7枚で、この日の最大は7キロぐらいか?合わせそこないが2回あった。春まではめったになかったのだが…。まだ感が戻っていないのかもしれない。食い込まず、放してしまったことも1回あった。そっと竿先を上げてみたり、糸を送り込んでみたりといった小細工をしなかったことが反省で残った。夜、奥から「ヒラメのから揚げが絶品だった。」とメールが届いた。明日の夜、作ってくれるかな?
 16日の㐂栄丸は最悪!テンヤを3個もロストするし、しかも食わない!やっと来たと思ったら花鯛の連荘である。最後は潮も完全に止まり、しゃくっても同じところにテンヤが落ちているようだった。2号もあったのだから試してみればよいものを、カッカとした灰色の頭脳はしゃくりやフォールを変えるばかりで、無駄な試みに終始してしまった。オーバルテンヤだが、親針が小さいのではないだろうか?針の形状もあれでよいのだろうか?7日の釣行ではバラシが異常に多かった(前回のブログ)と思うのだが、親針の形状と関係はないのだろうか?次回気をつけてみたい。

今週の釣行

 7日、㐂栄丸が午後出船するというので即、釣行を決め行ってきた。家ですべきこと、つまりばばのオムツを外して体をふき、リハビリパンツに変え、1階に掃除機をかけ、ピン(昨年身罷った父の忘れ形見?のネコ)のトイレを掃除し、ラッキーの犬舎のうんちを取って磨き粉を撒いた後ブラシをかけて・・・車を走らせた。
 釣り師はわたしを入れて4人。常連さんだ。佐藤船長の二番目の御嬢さんも入れると6人で出船。トップで手のひらよりも小さい、それでも真鯛をかけた。これはリリース。深さは25メーター前後。5号のオーバルテンヤでスタートしたが、すぐに3号へ。納竿まじかになって潮が速くなり、再び5号を使った。
 この間、4連続のバラシが有ったりして、900グラムを筆頭に10枚を釣り上げた。が、スソ!トップはSさんで20枚以上だった。型も良い!私は4連続のバラシの後も、バラシが何回もあった。途中でテンヤの針先が甘いのではないかと思い当たったのだが、確かめることも、砥石で研ぐこともせず釣り続けてしまった。なんという横着者か!帰宅後爪に針先を立ててみたが、案の定つるつる滑ってしまった。これではネ!初おろしだからと、針先を確かめず釣行したのがミステイク?悔いが残ってしまう。まあ、次回釣行する理由ができたということにしよう。
 今日、9日は岩和田の明広丸に釣行した。もちろんヒラメである。
 ポイントは港のすぐそばで、15、6メーターから8メーター。起伏にとんだポイントを流していく。船長からは、「はい、だんだん浅くなっていくよ。根掛かりに気を付けて。12メーター。」「11メーター。」「はい、今度は深くなるよ、17メーター。」と、頻繁にアナウンスがある。(探検丸があるといいかも?明広丸は探検丸搭載船である。)
 しかし、濁りもきつく、魚の活性も低いようだ。私は捨て糸を30センチにつめて対応。が、ハリス90センチは長すぎたかもしれない。釣果は980グラムと2キロの2枚に、イナダが1本。今日の気温は5度。カイロを8枚貼り付け、ダウンジャケットを着込んでの釣行だったが、寒さで体がこわばってしまった。北西の強風で、海面からは湯気が立っていた。冬ってこんなに寒かったっけ?船宿で熱いラーメンをすすりながら寒かったと皆口々に話していた。本日のトップは4枚。最大は4.5㌔の良型!外道はイナダのほか、大マゴチ等々。明日の夜は旨い刺身に熱燗で一杯かな?
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