暗中模索、五里霧中、七転八倒の釣り日誌

多趣味な世捨て人が、釣りを中心に幅広く、無責任な独断を掲載。

2014年03月

世に美味いものは・・・・・

 藤井大兄のブログにタイの塩辛の記事が載っている。残念ながらお味の方はどうだったのか・・・記されていない。まあ、味は各人各様、好みであって、さらに言わしてもらえれば自分が美味いと思うかどうかだけが大事なのであって、まして料理屋ではない私にとって自分以外の人がどう思うかはさほど重要ではない。が、タイの塩辛は美味い!海鞘の塩辛、海鼠腸と比べても遜色はない!と自己中の私は信じて疑わない。
 タイの塩辛を初めて食べたのは30年も昔のこと。魚がお好きなようだからこれはどうですか?と頂いたのだが、日本酒の肴にはもってこいだった。以来塩辛の棚を見つけては探すのだが、まず殆んど並んでいることはない。タイの塩辛に限らず世に美味い物がたま~にある。が、「騙されたと思って食ってみろ、絶対に旨いから!」なんてのは大抵だまされるものと相場は決まっている。でもそれは勧めてくれた人が嘘つきというわけではなく、味はその人の好みだからである。
 日曜日の午後、新幸丸に乗ってきたが、250gの小鯛1枚だった。そのタイの冷たいこと!ヒヤッとするほどの冷たさだった。これではねえ。外道は大サバ!タイ釣りでは初めて釣り上げた外道だった。あとはホウボウが1匹。大サバは釣り上げてすぐに首を折り血を抜き、エラと腹ワタを取り除いた後はクーラーに入れた。。ホウボウもエラを切り血抜きをして持ち帰った。帰宅後3枚におろした大サバは身が見えないほどの塩で30分締めて酢に1時間浸した。〆サバというよりは刺身に近いかもしれない。真っ赤な身が目にも鮮やかで美しくこれが世にも稀な絶品!本山葵を切らしていたことが残念だった。ホウボウは一晩寝かせた後握りずしにしてもらったが、もっちりとした独特の歯ごたえに甘みが絡みエモ言ワレヌほどの美味!腰痛が再発して寝返りも打てずに悲鳴を上げているが、このまま釣りができなくなったら・・・食べる楽しみは半減してしまうことだろう。

海の上も春一番!

 18日の火曜日、今期最初のヤリイカに行ってきた。ベタ凪の鹿島沖を船は滑るようにポイントを目指した。が、釣果は最悪!右舷は巻き上げの電動音がひっきりなしに響いていたが、左舷は・・・蚊帳の外!群れも散らばっているようで、拾い釣りという形容がぴったりといった様相だった。が、それにしても私には中りそのものが少ない。たまにあってもさわりだけで、抱きついてくれない。誘いもそぉーと竿を上げ、ステイを10秒、ときに15秒もとってみるが芳しくない。そのうちに高切れを2回も繰り返す始末!道糸は以前、ブログに書いたすぐに毛羽立ってしまう4号の粗悪品。たまりかねて予備に持参したリールに乗せ換えて釣り続けた。中乗りさんも、「どうしたの?当たらない?おかしいねぇ。」と声をかけてくる。その内に海が俄かに波立ってきた。春一番の襲来である。そしてとうとう「あと2回かなあ。吹いてきたので早揚がりしますから、頑張ってください。」と船長の早上がり宣言が発せられた。その頃になってハタと、気が付いた。わが家は築40年のあばら家である。もう1回大きな揺れに襲われたら倒壊すること必定である。そこで4か月をかけて耐震補強を施した。その間、ツノや仕掛けは紙の手提げ袋に入れられたまま出窓に放置され続けたのだった。そう、4か月も紫外線に痛めつけられたツノやハリスは透明度も艶も失われていたことだろう。そんなツノに食欲を感じるお人よし?のイカなんているわけがない。ああ~、また恥ずかしい失敗を重ねてしまった。「みんな竿やリールのことばっかり言うけどよ、仕掛けが一番魚に近いんだぞぉ。」と教えてくれた今は亡き明広丸の大船長の言葉をかみしめながら帰ってきた。

海洋短波レーダー

  海洋短波レーダーが野島崎と八丈島に設置されていて、海流の動きを15センチスケールで表示している。しかしその表示範囲は両レーダーが重なる伊豆諸島海域で、房総沖はほんのちょっとである。大原や勝浦の釣り船の活動海域は残念ながらカバーしていない。そこへいくと相模湾はほぼ全域がカバーされているので、釣行計画をたてる際には頼もしい情報の一つだろう。黒潮も毎日の流れを俯瞰することができる。それによるとここ2、3日で房総半島にかなり接近してきた。想像する大原沖の潮は0.3ノットだが黒潮接近で流速も水温も上がるに違いない。これから時化る。水産庁のHPや海上保安庁のHPを眺めて過ごしている。

3.11に思う

 大川小の保護者が3.11当日の学校の対応を巡り、訴訟を起こした。学校の対応が適切だったのか?多くの児童の命が失われた原因はどこにあったのか?同様の事件を繰り返さないための方策は?知りたいことはたくさんある。報道で知る限りでは学校の処置に不信感を感じた人も多いのではないだろうか。
 教頭を中心とする教員のやり取りや、いつまでも校庭待機をさせられる児童の「ここにいたら死んじゃうよ。」という進言(?)を聞くと、地域の様子や歴史のへ認識の差が見えてくる。裏山は急で登れないという認識の大人達と、シイタケ栽培をしている山で容易に上れるという子供たち。以前にも津波が来た、届いたという子供たちと、ここまでは来まいと判断する大人たち。詳しいことはわからないけれど、報道をたよりに考えると、少なくとも管理職は二つのことを疎かにするか、好意的に判断しても足りなかっただろう点が二つあると思う。
 その一つは着任した時に地域の歴史をどれほど知ろうとしたのかという点。私が足立に着任した時には足立の用水と水害の歴史を、深川に着任した時は寺町の形成から深川、隣接する砂町の歴史や風水害と火事、空襲、伝統文化・工芸を、江戸川に着任した時には古墳時代からの歴史と直近のゴミや騒音闘争を急ぎ仕入れたものだった。それには各区で発行している冊子が役に立った。
 もう一つは足で地域を見て回り、川や用水路、排水場、閘門、住宅、道路等の地域の実態をどこまで把握していたのかという点である。万に一つに備えることが危機管理であると自らに言い聞かせて私は勤務してきた。学校近辺の地形や歴史を知っていたなら違う選択肢を選んでいた可能性も少なからずあったのではないだろうか。孫の誕生がスケジュールに登ってきて、一層保護者の立場から考えている。

良いことは重なる!

 


 

20140217181529
 今日10日は母の87回目の誕生日。生まれた日を1回めと数えれば88回めになるはず。てなわけで、昨日、米寿の祝いを持った。幸い子どもたちと孫全員が顔を合わせることができた。開会まで母には伏せてあったので、母の驚きと喜びは断るまでもない。うれしいおまけが二つ。その一つは孫の一人(私にとっては可愛い姪)のご亭主となる人の出席!話には聞いていたのだが姪が連れ添う相手となると、余計な口をきくつもりは毛頭ない(これは本心!と言うのは私と奥の結婚は私の父方の親類からの反対の中、入籍・同居を始めていたから)けれど正直言って気になるところである。温厚そうで朗らかなその当人と顔を合わせ言葉を交わすことができたことは姪の幸せを私なりに確信できた、うれしい出来事だった。
 もう一つは、母にとっての初孫、即ち私の長男夫婦に子供ができた(母にとっては初の曾孫、私たち夫婦にとっては初孫)ことを披露できたこと!それも男の子らしい、多分。歩けるようになったら船に乗せるぞ!
 おまけがもう一つ。それは朝晩出ていたおしっこの回数が1日1回になり、寝てばっかりいた金太郎に元気が戻り、まる4日振りに便通があったことだ。もしも当日の朝ウンチが出なければ朝一でかかりつけの獣医師まで連れて行くつもりだったのだ。奥と二人、ホッと胸をなでおろしたことは言うまでもない。良いことって重なるもんなんですね。
 

航程3時間!アジの干物を・・・ゲット?

 無念だ!金曜日、1時に起きて大原へ。狙いはメヌケだったのだが、釣り師5人の釣果は船長が朝一に釣り上げた35キロのアブラボウズ1本のみ!
 3時半河岸払いして一路目指したポイントは・・・・大原沖か?もちろん携帯は圏外。潮の流れを確かめた後、6時半に第一投を650メータの海底に送り込んだ。波とうねりのため船が大きく上下し着底が判りづらいので10メーターほど巻き上げて落としなおし、着底を確認した。するとすぐに小さな中りが来た。当たってる、当たってるとにやにやしながら竿先を見つめるが、小さすぎるようだ。メヌケではなさそうだが、魚には違いない。少し送り込んでみる。着底したので今度は底を切ってみる。その繰り返しの間も中りが続いているので、鉤掛かりを確信して巻き上げはじめるが、直に根掛かりのシグナルが来た。構わずに巻き続けるとすぐに重りが切れて巻き上げが始まった。しかし、魚からのシグナルが来ない。上げてみると3つの鉤にはエサがついていない。喰い逃げされてしまった。その間に船長は35キロのアブラボウズを取り込んでいた。12号のハリスでさすがにプロです。
 次の投入でも中りが来た。先ほどより大きな中りで期待が膨らむ。しばらく待った後巻き上げると抗う魚の様子が伝わってくる。と、次の瞬間道糸から緊張感が失われた。サメに食いちぎられたような様子もなかった。いったい何が起きたのだろうかと思いながら仕掛けが上がってくるのを待つ。そして上がってきた仕掛けは6個目の親子サルカンから下が無かった。幹糸の端には親子サルカンに巻きついていたループが残されているではないか!つまり、30号という太い幹糸をサルカンに結んだ時の締め込みが甘く、2キロの重りと抗う魚によって結びがすっぽ抜けてしまったのだ。クッソーと悔しがっても後の祭り!こんなことってあるんですねぇ。いい体験をしました。
 最後の投入では小ぶりなスルメイカが配られ一番下の鉤にかけるよう指示された。期待を持って投入した最後の流しだったが、中りもなく12時を少し回ったところで回収、沖上りとなった。スルメ?他の皆さんがカモメに進呈する中私の鉤にはエンペラだけが残っていましたよ。いつの間にか喰われていたんですねぇ。恥ずかしくて申告できませんでした。怪しい中りは・・・なかったのですがねぇ。孫鉤を目の上あたりに掛けておけば釣れたかもしれないが、これは邪道かな?
 波とうねりの中で刻々と水深が変わる場合、一度底をロストした後、速やかに底を取り直せなかったことは致命的だった。仕掛けは基本に忠実且つ丁寧に作ることの大切さも再確認した釣行だった。女将さんから鯵の干物と塩イカをいただいて帰路についた。
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