暗中模索、五里霧中、七転八倒の釣り日誌

多趣味な世捨て人が、釣りを中心に幅広く、無責任な独断を掲載。

2016年10月

大原は・・・やはり重め!

 里帰りしていた金太郎を迎えに行ってきた。一週間という長い里帰りだった。上から降りてきた金太郎、ソファーに座る私のそばに上がり腿に体を預け、頭までのせてきた。よっぽど寂しかったのかなと思った次第。次男の帰宅は終電。帰宅した後もまわれなかった支店に電話を入れ、PCに向かい3時4時の就寝。起床は11時。犬のような性格の金太郎はかまってほしかったに違いない。はいはい、また今日からはジジ・ババと一緒だよ。
 次男への土産はマダイとショウサイフグ。昨日の26日、新幸丸で調達してきた。昨日の今日では旨味は期待できないが、思いは届けてくれるだろう。昨日のうちにバーナーであぶり、持参した作を刺身にしておいてきた。帰宅したらつまんでくれることだろう。
 昨日は新幸丸の午後船に乗ってきた。1番くじを引きお気楽な右舷艫に入った。船長は赤しか食わねえんだよねと言い、アサヒペン蛍光赤を塗った出来立ての2号カブラをプレゼントしてくれた。勿論その赤を繋いだ。10分ほど走って実釣開始。水深は16m。浅いところでは12m。2号とか1.5号とかの守備範囲なのだが、中りが遠い。たまにかかっても上がってくるのは手のひらサイズでこれはリリース。次男宅に行く予定なので良型以下はリリースと決めてきたが、リリースに次ぐリリースが続く。ようやく300gがきたのでこれはキープ。が、800gは欲しいところ。隣りや背中の人はそれなりの型を上げている。潮は流れていない。ステイを長くしてみたり、底を切ってみたり、カーブフォールを試したりしたが釣れて来るのは手のひらサイズばかりだ。背中で3.5㌔を釣り上げた、朝から通しのSさんは5号を使って数を伸ばしていた。2号に見切りをつけて3号を繋いだのは西の空が赤く染まったころだったが、夕マヅメの時合だったのだろうか、急に型が良くなった。55分前に750g、5時過ぎに930gと立て続けに良型を上げて510分、投了となった。釣果はリリースを含めれば14枚。お持ち帰りが4枚だった。エビは2パック半を消費。頭は20枚くらい釣ったらしい。やはり重めのテンヤを使っていた。
 ニットウの240だが、竿尻を10㎝伸ばしてもらった。竿尻が脇の下に入り、型物とのやり取りが楽になった。料金は税込3240円。この2402号から10号の謳い通り、穂先は敏感だが胴には張りがあるので合わせが効く感じ。
栄丸250とはまた違って今様な味付けだった。





今日は・・・明日は?

IMG_2069DSCN1716DSCN1712 今日は・・・あまり気が進まないらしい奥を誘い、コキアを観に行ってきた。ネットサーフィンしていたら今が見頃だとか。そう、ひたち海浜公園。もとは射爆場だが、不発弾の心配はあるまい。平和になれば我々のようなジジババや幼子たちがたっぷり一日中憩う場に変身するのだ。沖縄の基地が返還されたら、老若男女の楽しめる施設にしてほしい。一日も早く返還されることを願ってやまない。
 午前中は晴天らしいというので朝7時に出発。途中で運転を奥と変わったりSAで休んだりして10時半現着。空に雲はない!空が晴れ紫外線が当たると花も葉も照り輝く。入場門そばの観覧車(600円)に乗り、全体を俯瞰した後、ペットは乗れないシーサイドトレイン(一日何回乗っても500円)に乗り一周した(金太郎は里帰り中)。コキアもコスモスも、キバナコスモスも尾花も期待を裏切らない。2週目に目的地の見晴らしの丘で下車。薄い雲が出てきたが既に大勢の人が丘を登っている。来週位までは目を楽しませてくれると思うので足を向けられてはどうだろうか。一日楽しめると思う。写真とビデオを取り、常々行きたいと思っていた観光地の一つをクリアすることが出来た。残念だったのは最後に乗ろうと計画していたディスク・オー(500円)!奥が袖を引っ張る。奥の言うのには65歳以上はお断りだとさ。こちとら毎週のように時化の太平洋で両足を踏ん張り、魚と対峙しているんだ!若い者には負けん!と雄叫びをあげたかったが・・・それも見っとも無い、負け犬のナンタラだなと老体に言い聞かせてあきらめた。そういえば14日に新幸丸に乗った時、あと何年乗れるかなぁというと船長曰く「あと5年!う~ん、今いくつ?じゃぁ・・・あと8年。」と言われたっけ。次は金太郎を連れて春のネモフィラを観に行きたい。
 明日は・・・・どこもフグの模様が良くない。が、新幸丸の午後船が出るらしい。改造したニットーの竿を持参して凪の太平洋に乗り出そうかな。結果が良かったらその竿をお見せしたい。

明日は・・・・・・

 常陸海浜公園のコキアが見ごろだとか。明日は一日晴天の予報でお出かけ日和!が、奥は習い事で午前中はお出かけ。お昼も食べて来るだろうから帰宅は2時か3時かな。如何に近くとも2時からでは間に合わない。友人を誘おうとガラ携を手にした途端にメールが送り込まれてきた。開ければその友人からで今、西表島だとか(彼の趣味はスキューバである。美味しいアワビもイセエビも眺めるだけ。こりゃぁ修行だね。しかし、100㌔の巨体の持ち主である)。明日には帰るというがあさっての予報は・・・・よくない。肝心な時に役立たず!と毒づいてやったが勿論返信には書かない。
 沖縄と言えば、大阪府警の機動隊員が土人と叫ぶ映像が流れていたが、機動隊員の質も下がったものだ。機動隊員はプロだろうに、冷静を保てずに(かつて対峙した隊員は指揮官の号令がかかるまでは無言で体を張っていた)、悪たれをつく育ちの悪い子供の喧嘩を観るようだった。そんな隊員をかばうような言い訳を吐く府知事はこれまたモンスター級の親バカと後ろ指をさされても仕方が無かろう。
 大日本帝国と称したころは世界中が帝国主義時代で、信託統治領の人々を南方土人と言ったり、朝鮮半島や中国の人たちをチャンとか呼んでいた。根底には選民意識と他民族を見下し蔑む意識があったわけで、ナチスとなんら変わるところはない。いまだにそのような意識が権力を持つ人々、とりわけ暴力装置の間にはびこっていることが恐ろしい。
 毎年の人権週間の取り組みには、必ず、アイヌの人々への差別解消への取り組みが掲げられる。東京人は全国からの寄せ集めだから被差別部落も少なく、今は出自への偏見も少ない。歴史の古い大阪はそうではないのだろう。おっと、これこそ根拠に乏しい偏見だった。

丸多田中屋!!

 信州報告の2。
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 一日目にご馳走になった蕎麦懐石のお店です。丸多田中屋というけれど、先の丸多が屋号?店の起こりは信玄公にまでさかのぼるらしい。ご先祖様は、諏訪にお輿入れした姫君に同道した御用商人らしい。以来豆を中心に商い、江戸後期に現在の屋号を掲げ創業としたらしい。  
 女主人は多才、且つ行動的な方で、商工会議所をはじめ市や神社等の役職は十指に余る。料理教室なども開催しているという。いるんですねぇ、このような方が。日がなうちの中でゴロゴロし、海況がいいと聞くと海に出かけ、戻ればまたごろごろしている私なんぞは真面に目を合わせることも憚られるというもの。ですが、あの蕎麦と大ぶりの蕎麦猪口の底に申し訳程度に注がれた漆黒ともいえそうなそばつゆが忘れられない。蕎麦は主自らが朝7時から打つというので勿論予約が必要です。諏訪に行かれた時は是非どうぞ。お勧めです。
 夜からは御嬢さんを交えての二日間だったが、記憶にあるMちゃんは高学年だったかな。動物の扱い方が判らないと言いながら頻りに金太郎の相手をしてくださった。好奇心の塊のような金太郎も普段は加齢臭ぷんぷんのジジ、ババしか相手にしたことがないので・・・多少戸惑っていたのかな?
   付録・・・「諏訪 丸多田中屋」でヒットします。



再会の願いはかなったけれど。。。。。


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 1920日の二日間、ヨット部の先輩ご夫婦とその御嬢さんとお会いしてきた。奥様、御嬢さんとは30年近い年月を隔てての再会だった。20日は我々夫婦に金太郎の5人と1匹で信州の秋を満喫してきた。
 先輩は気持ちの細やかな方で、後輩からは特に慕われていたし、先輩の人柄にほれ込んでいた浜茶屋の主は子供に先輩の名前を付けたほど。わたしが酒を呑み部のトラックを持ち出して警察沙汰を起こした時も監督のところへ連れてゆき手を尽くしてくれたのもこの先輩だった。それがなかったら無期停学で自主退学か退学処分になっていたに違いない。
 就職後もセーリングクルーザーを共同所有するときには声をかけていただき、大学卒業後もお付き合いは続いていたが、グループ解散後は年賀状のやり取りだけになってしまっていた。
 手土産には11日と14日に釣ったハナダイ、マダイ、外道のショウサイフグの干物を持参した。奥は「そんなもので…。」と眉をしかめていたが、そんな方ではないことを奥も十分承知しているはず。が、辛口髙天や新鶴の塩羊羹、手作りの漬物などをいただき恐縮してしまった。
 昼食は先輩の、夕食は私がと勝手に算段していたのだがこれも計画通りにはいかなかった。400年を超える老舗の蔵で蕎麦懐石をごちそうになった。蕎麦は言うまでもないが、極々黒い蕎麦つゆのまろやかな味は感動ものだった。ここではなんと金太郎までも同席させていただいた。女主からは諏訪の町の成り立ちにも及ぶスケールの大きなお話を伺った。
 2日目は秋宮にお参りした後、乗鞍のスカイラインをドライブしていただいた。いただいたというのは金太郎がシャトルバスに乗れなかったため、私と留守番に回り、4人で楽しんでいただいたから。
 乗鞍は以前、爺ライダー3人でツーリングした時に見た雄大な景色をいつか奥にも見せてあげたいと思っていた。先輩一家がご一緒でなかったらきっと諦めていたことだろう。学生時代も還暦をはるかに超えた今も先輩にはお世話になってばかりだった。
 次は天然のマダイやフグの刺身をぜひ味わっていただきたいが、流石に諏訪は遠い。良い方法はないものだろうか・・・・。
 好事魔多しと言うがPCの調子が良くない。車の次はPCの買い替えかな?電源が入らないのでは勝負にならない。


やはり4、5号!?

 今朝、藤井大兄のブログを開いた。大原で浅場のマダイを楽しまれたらしい。そこには、軽いテンヤでは中りが出なかったと記されている。では何号かというと、45号らしい。
 725日釣行の時は24号で小鯛1枚に終わったが、若船長の「言えばよかったですね、最近軽いテンヤでは中りが出ないんですよ。最初に聞いてください。」と帰りの船の中での話だった。以来、支度をしているときに号数を尋ねるようにしている。船長からは決まって5号という答えが返ってくる、20mを切る浅瀬なのにである。以来、大原では5号で始め、様子を見て4号に換えて釣果を上げている。魚は底付近でもあったのだが、11日も多くは5号と4号だった。軽いテンヤを時間をかけてふわりふわりと落とすというのがセオリーだったのにねぇ。海の中は見えない。魚の気持ちは解らない。



 

新幸丸で14枚!?。。。でも。。。。。

 昨日は新幸丸へ。大原に向かう道中、車も揺らぐような風に海の悪さを覚悟した。
 港についてみると予想通りの強風。悪い予感はよく当たる。悪い天気予報もよく当たる。
 4時50分に5人を乗せて河岸払い。バッタンバッタンを繰り返しながらポイントへ向かう。バッタンバッタンするたびに背中にピッキーンと激痛が走る。雨も波もあまり気にしないが、高い波に船のバウが叩き付けられるのだけはつらい。50分走り太東沖の17m立ちに到着し、実釣開始となった。
 ロッドは修理を終えた
栄丸。高い波と風に中りが判らない。が、竿先を注視していると何やらクックックと震えた様な?ピシッと合わせると下への突込みを見せながら小さなタイが上がってきた。まずは坊主解消でホッとする。次はそれなりの引きで大きなガンゾウが上がってきた。船長がタモ取りしてくれたが、さて、から揚げかな?5
枚におろしてムニエルか?
 船長は凪るというが凪てきたのは沖上り間近の頃で、高い波と強い風の一日だった。しかし、潮は流れない。潮回りもほんの5分程度。しゃくっても糸を出すことなく底を打つ。同じところをテンヤが上がったり下がったりしているということで、その場所に魚が居なけりゃ釣れるはずもない。頻繁に入れ替えて、少しでも違うところにエビを落とすようにした。
 水曜日、沖縄のお客人と乗った時は凪だったがやはり潮が流れず船が動かなかった。最後、どてら流しに切り替えた途端中りが頻発した。
 その時は払い出しだったので、船の腹に沿うように落とし、着底したらしゃくってさそうと入れ食い状態になった。2回目しゃくったころにはかなり糸が出ていたので回収して落としなおすとまた着底と共に中りが出た。が、今日の強風に波ではそれもできない。パラを打つしかない。
 潮は流れなかったがまめな入れ替えの効果か中りは多く、エサは2パックと少しを使った。釣果は14枚!が、700gを筆頭に外道の花ダイが8枚!干物にするのでお持ち帰りした。船頭の台所の板さん(鈴栄丸の船長だが)、焼いたら花ダイの方が美味い!という。本命は800gから250gが6枚。入れ食いのように釣れるときもあったのだが…。掛け損なった中りには中ダイや大ダイもいたはず。ほかにはフグとイナダクラスが1匹。リリースはマダイが4枚にハナダイも2枚。来週には大学時代のヨット部の先輩ご夫婦を尋ねることになっているので、手土産代わりにタイの干物を持参するつもりだ。800gのマダイも昨夜開いて2時間つけ汁に浸した。奥は「焼けるかしら?」と心配するが何とかしてくれるに違いない。
 今日は晴れるはずだから2~3時間で天然マダイの開きが出来るはず。出来上がったら真空パックして冷凍しよう。


隣りは入れ食い・・・寂しい・・焦る!

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 大原の新幸丸。
 バッタンバッタンしながら40分ほど走って、第一投を27mに送り込む。この日は終日同じようなラインを流したので4~5号で通した。
 朝の入れ食いタイムが来たが一人蚊帳の外。やっと釣れたのは手のひらより小さい、それでも真鯛。が、流石にこれはリリース。隣りの若船長はすでにツ抜けをしそうな勢い。終わりころになってようやく800gクラスが来て新一船長のタモに納まった。「やっと来たね、さあ、これから!」と尻を叩いてもらったが、270のロッドは今一難しい。風も強くてうねりも大きく、こりゃあ物干し竿の出番だと一人合点したのだが中りをとらえられない。喰っているようないないような雰囲気にシャクリを入れると掛かっていた。「餌取りのような中りはみんなタイですから。」合わせろと若船長は助言してくれるが、今一つ自信がない。それでも合わせを入れると確かにタイの引きが来た。一匹かけてからはようやくいつもの調子?が取り戻せたようだった。お持ち帰り10匹にリリースが2匹。でも隣の若船長はリリースも含めて26…だったかな?
 10匹のほとんどはガイド10個の大昔のspマダイ。弘法でさえ筆を選ぶ!ましてヘボ釣り師の私は腕の足らざるは道具で補うしかない。私には270はやはり使いこなせそうにない。帰るとすぐにニットウの240の注文を入れた。さあ、これで若船長にも負けないぞお~と雄叫びを・・・あげた(もちろん胸の中で)。
 まだ使ってはいないので確かなことは言えないのだが、この240、大ダイ対策か胴にしっかりと張りを持たせているので柔らかく繊細な竿先に現れる微妙な中りには積極的に合わせを入れて掛けるタイプのようだ。最近のダイワや炎月と同じ?タイプかな。㐂栄丸250とはちょっと違うタイプのようだ。それはそれで楽しみである。5日は長男の奥さんのお父さんと釣行する予定だが、フグから模様の良いタイに変更したのでこの240、5日がデビュウとなるはず。台風様、どうぞゆっくり来てください!

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