月に一度の月例会の日!実は先週だったのだが、射撃場のある地域が東電の計画停電に当たり、1週間日延べされたのだった。その日も、結局は停電は実施されなかった。一日当たり150万円の減収だと、射場長はボヤイテいた。停電といっても、私のようなリタイア組にはさほどの影響はない。が、営業している企業、会社、商店にとっては死活問題だろうことは想像に難くない。事実、テレビCMの本数は激減して、ACの放映ばかりが目立つ。この先、東電はどう補てんしていくのだろうか?新東電を立ち上げ、補償、補てんは旧東電に負わせるのだろうか?チッソの再来か?
 今回の震災が想定を超える大地震だったというが、現に度々起きているM7を超えたら大ではなかったか?今までにM9を超える地震が起きていた事実と、列島の地殻構造をかんがみた時、東電や、建設を認可した、時の政府の責任は逃れることはできないのではないだろうか。あくまでも市井の年寄りの感想にすぎないが。
 さて、私はもともとはスモール・ボア(22口径)伏射専門、つまり、精密射撃のライフルマンであって、クレー射撃は実猟のためだけだった。狩猟期間の11月15日から2月15日まではライフルに指一本触らない。2月16日が近付くと撃ちたくて撃ちたくてうずうずしてくるがじっとこらえたものだ。逆に、2月16日からはライフルしか触らない。朝早く射撃場に行き、静かなうちに撃つ。弾数は60発以内。1発1発を集中して撃つことが大事であって、数撃てばいいというものではない。もちろん、試合弾(私はテネックスを使っていた)で撃つ。練習の時にも最良の弾を使っていなかったら、エックス点(私が現役の時は10点円の中心に、1ミリの黒点があった)を外した原因が自分のためか弾のためかわからなくなるではないか!練習が試合である。当時職場のあった江東区への通勤電車の中はイメージトレーニングの場であった。50メートル先の標的を思い浮かべ、「目を開ける。銃のサイトの先に、同心円に標的が見える、呼吸をだんだん浅くし、3回目に息を止め、標的をかっと見つめ強い意志で、しかし70グラムの2ステージめの引き金を暗夜に霜の降りるように落とす。フォロースルーを取り、頭を傾け、スコープを覗く、エックス点のあったところに5,6ミリの穴!よし!10点と小さくつぶやく。」このような毎日を送っていたが、関東選手権は毎年8位。東日本選手権の千葉県代表になり、5位入賞が最上位レコードだった。その後管理職になり、選手生活を離れることになった。二人の息子にも「国体までは行かしてあげるよ」とささやいたが、長男はバレーボール、次男はバスケットへ進んでしまった。男の子は、父親のするようにはしないものだ。機会があったら自慢話や失敗談をづづけたい。