雨上がりの今日は、天と地の間は花粉で埋め尽くされているに違いない。風の弱いことだけはありがたいが。
 我が家は、大谷石の塀とキャラの生け垣で囲まれている。大谷石の塀は、1年前に、高さを半分に下げてあったので、今回の地震でも崩れる心配はなかった。キャラのほうは、40年間、義理堅く毎年3月には、煙のように花粉をまき散らしてきた。切り倒してやりたいと思うが、木でも命あるもの、なかなか切れないでいる。そのうえ、4月末からは優しい真緑の新芽を一斉に伸ばし、それは見事であるから、ますます切ることができないでいる。
 世間を騒がしている花粉の多くは杉と檜である。その杉と檜のほとんどは植林されたものである。需給を見通して立てた植林計画が、現実の需給と大きく乖離してしまった今、森林開発を新しく策定すべき時に来ているのではないか?その時の視点の一つに、野生動物や、海、自然の景観を加えてほしいと私は考えている。
 話は変わるが、秋、11月15日を過ぎると、私は銃を肩に、愛犬と一緒に猟野に繰り出す。しかし、狩猟を始めたころに比べて猟野は年々狭くなっている。原因の一つにゴルフ場がある。山は削られてヤマドリの居た昼なお暗い沢が埋められ、見事なまでの芝に覆われてしまう。そこを住処にしていたヤマドリもコジュケイもシカもイノシシも住処を追われることとなる。今はゴルフ場になってしまった大原の沢を犬と登っていた時、突然、ヤマモミジの素晴らしい黄色や赤に出会ったことがあった。緑の苔の上には赤や黄色のモミジが舞い散り、空気までもが透き通る黄色や赤に染められていた。林道に出るや、吹雪のように、紅葉した木の葉が私と犬を包んだっけ。日本の山野は木々の種類が豊富で、そのことが錦織りなす見事なまでの秋景色を造っているとか。ぜひ、スギやヒノキの人工林だけでなく、雑木林を再現してほしいと願っている。
 「山は海の恋人」と言ったのは、畠山重篤氏である。豊かな山から流れ出す川につながる海。その海で育まれた牡蠣の味は絶品だという。山と海はつながっている。そして人間も。