朝も遅くなった。あとひと月で冬至なのだから当たり前である。が、これは、一つテンヤのじじいには致命的ともいえる状況である。と言うのは、朝マヅメ、夕マヅメのチャンスタイムに0.6号の道糸の色が見えないのである。探検丸で深さが分かっても、どれだけ糸が出ているのかがわからない!着底を見逃したら最後、行きつく先はお祭りや根掛かりである。今はLEDのヘッドライトの購入を考えている。
 夜が長い分、本を読む時間には不自由しない…はずである。しかし、最近は新聞さえ、2か所しか読まない。奥は図書館で借りる派、私は本屋で買う派なのだが、最後に買った本は「はやぶさ、そうまでして君は」。現職中は2時間の通勤電車の中で本を読んでいたので、蔵書は増える一方だった。老眼が進んでからは専ら、足りない睡眠の補給タイムになったしまった。
 子どもの頃に読んだ雑誌は、小学○年生、日の丸、冒険王、…そんな私だったが、ある日、「吉田松陰はひと月に125冊の本を読んだ」と聞いて、図書館に足を向けるようになった。そこで手にしたシートン動物記やファーブル昆虫記を夢中になって読んだ。勢いわが家は昆虫の住処になった。子どもたちにその経験を話す機会があったが、「君たちが育てているアサガオだって稲だってアオムシだってカイコだってみんな生きている。植物を育て昆虫を飼うということは、実は命を育てていることなのだ。」と話した。こんな感覚はシートンやファーブルによってはぐくまれたのかもしれない。 
 そのあと岩波少年文庫を読み、中学では龍之介や漱石。 高校では図書部に籍を置いた。人並みに恋に悩んでいた時、担任から勧められた「学生に与ふ」が懐かしい。○○文庫100冊の本も読んだ。謝恩会で「漫画にもいい漫画とそうでない漫画がある。オバQを読むならアトムを読め。」と言った若い日本史の先生の顔が目に浮かぶ。
 学生時代(新潟市)は下宿の壁一面を畳から天井まで本を積んだ。しかし新潟を去る時、ほとんどの本は後輩に譲り、自分はミカン箱1杯の本だけを持って帰省した(これは北杜夫のまねと思う)。松本清張や野間宏、吉本隆明、小田実,
遠藤周作・・・・かなり適当な本選びだった。こんなわけだから、本が人生を決めたなどと言うことはなかったが、ベトナム反戦デモに加わったり、想像の翼を広げたり、豊かな気持ちにさせてくれた。釣りにも行けなくなったら、中断している読書にまた戻りたいと思う。まだ釣りに行ける明日は萬栄丸のクロムツに予約を入れた。