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 ラッキーが死んでしまった。月曜の朝入院させ、今朝会いに行こうと支度をしていると電話が入り、死を告げられた。月曜の夕方は病院の周りを散歩でたのだそうだが、昨日の午後からは食べ物を飲み込むこともできず、四肢がマヒして、保温しても体温は低下してしまったらしい。脳腫瘍か脳障害が一番疑われる症状だと言われたが、悲しいかな私には様々な兆候が見抜けなかった。苦しむこともなく、眠るように死んだらしい。15歳と3か月!猟期は骨と皮になるほど使役される猟犬にしては長命であった。健康管理が良かったからだと獣医さんたちには慰められたが、死をむかえるときにそばにいてやれなかったことが悔やまれれてならない。前のサースの時も入院させていたものだから、そばにいてやれなかった。そばにいて、「大丈夫だよ、怖くないよ。」と言ってあげ、体をさすってあげたかった。以下はサースが死んだとき、知人の依頼を受けて書いた駄文の抜粋である。

  ・・・・・4月のはじめ、かわいがっていた犬を亡くした。ここ3年ほどは座敷犬になっていたので、世話をしていた父や母の悲しみようと言ったらなかった。母は、骨壺を抱いて「こんなに小さくなっちゃって。」と言ってはまた涙を流していた。たかが犬なのだが、大切な家族のようにおもっていたのだろう。
 思えばこの犬は、私が初めて飼った犬だった。金魚や小鳥をのぞけば、初めての動物だった。61年の生まれだから14歳。当時私も36歳。互いに若かった。すでに兄弟犬は皆亡くなっている。今は一緒に天空の野山を元気に走っているだろうか。
 趣味で始めた狩猟のために飼い始めたセッターの猟犬だったが、新米ハンターの私によく雉やコジュケイ獲らせてくれた。一緒に鳥を追って野山を歩いたことが思い出されて懐かしい。年老いてからは半日の出猟になり、それも2時間になり、やがて1時間になり、最後はよろけるようになってしまった。それでも雉の匂いを追って一生懸命に探していた姿を思い出す。 
 いよいよ具合が悪くなって病院へ向かう車の中で、不安そうに頭をもたげていた。点滴も入らず、血管から直接入れることになった。そうしても2、3日だろうという。奇跡を信じて入院させたが、分かれるときもう一度頭を上げた。その時の澄み切った黒く大きな目が今も目に浮かぶ。翌朝、眠るように亡くなったと知らせが来た。独りで死んでいったことを思うと胸が締め付けられる。私が山中で迷うと、迷ったことがわかるらしく、そばをけっして離れようとはしない子だった。最後の時、心細かったのではなかったろうか?寂しかったのではなかったろうか?怖かったのではなかったろうか?そばにいて、「怖くはないよ。」と言ってあげることが、生きて後に残る者の務めではなかったか。思いやりとか、優しさとか、相手の身になってとかよく言ってきたけれども、一番必要な時にそばにいてあげられなかったことが、悔やまれてならない。取り返しのつかないことをしてしまった。まだまだ未熟だと思い知らされた愛犬の死だった。まもなくゴールデンウイークである。一緒に渉猟した野山に少しずつ散骨しようかと考えている。・・・・・

 
 また同じ過ちを繰り返してしまった。4,5日で退院するだろうから、以後は座敷犬にしようと奥と話していたのだが…。老いると病状は急変する。サースも、エルも、ラッキーも。そして父も。症状を自分の言葉で言い表せない者たちへは、周りにいるものの細やかな言葉かけや観察だけが頼りなのだった。自宅に戻ったラッキーはまるで生きているようだ。明日の朝、お骨にする。