大学時代、ヨット部に籍を置いていたことは以前書いた(4/3「海の男は」)。春のインカレに向けて、春休みに合宿を組むのはどの大学でも同じだろう。新潟での春合宿は時に雪の舞う中でのレース練習だった。気温の低い分、風は冷たく、体感的には2倍近い風速に感じたものだった。ジャイブの失敗で沈しようものなら、近くの艇はレースを離脱してクルーの救助に当たった。特にA級ディンギーにはセルフベラもなく、両脇から抱えて排水しないと水船のままだった。そのあとは船底に残った海水を掻き出しながらレースに復帰したのは若さがあったからだろう。一日が終わると、沈はしなくともシャワーでずぶぬれだった。一番つらかったのは合宿二日目以降、朝、濡れたままのGパンに足を通し、濡れたままのセーターやヤッケを着込むときだった。今でもあの冷たさや心地悪さ?は妙に生々しくよみがえってくる。コインランドリーもなく、ウエットスーツもない時代だった。
 合宿の打ち上げは宿舎の「学生ホール」だった。監督が理学部の先輩で、当時酒屋をしていたため、部員数の半分の本数の越乃寒梅が届いた。だから、越乃寒梅と聞いても、貧乏学生が飲む安酒ぐらいにしかいまも感じられない。急性何とかで救急車を呼んだこともあったぐらいだから、打ち上げの結末は悲惨であった。学生ホールの布団は潮でじめじめしたうえに吐いた汚物にまみれてしまった。窓の下も汚物だらけであった。会計やマネージャーを歴任していたので、予約や支払いに行くと、「ヨット部さんは汚くて。」とこぼされた。
 そんな春合宿の後、葉山の森戸海岸で開催されるインカレでは、新潟より暖かいためか風が実際よりもうんと弱く感じられてならなかった。その分大胆にタックやジャイブを繰り返すことができる。結果、私も50杯、60杯のレースでシングルを引いたことが何度かあった。レースを終えて海岸に戻る艇の中で、クルーと「おい、計測(上位艇は規定通りの艇か抜き打ちで計測された)かもしれないぞ。」と話したことを覚えている。人は逆境の中で鍛えられるというわけである。