黒潮が接近して、水温の上昇がありそうだ。となると、乗っ込み開始?が、早潮も?
 10年以上も前になるが、油壺にセーリングクルーザーを揚げていたころのことである。大学の先輩や同期の仲間と所有していたのだが、夏は休暇を調整して大島や式根島にセーリングを楽しんでいた。その時の黒潮による早潮による失敗は数えきれない。その1・・・大島と利島の間を通過しようとコースを引いたのだが、ゼノア(微風用のセール)は風をいっぱいにはらんだアビームにもかかわらず半日たっても位置が変わらない。たまらずにディーゼルをかけ機帆走に切り替えて漸く波浮の港に入ることができた。かくも黒潮は速い!ということ。その2・・・式根島に行った時のこと。8月6日だったか?台風の直撃だというので女たちを東海汽船の本船で帰し、男3人はクルーザーで油壺をめざして出港した。すでに大波が押し寄せていて、谷間に落ちると360度水の壁である。波の頂上に押し上げられると360度が見渡せる。というより海の頂上に立つと言ったらお分かりいただけるだろうか!利島がすぐ近くに見えるところまで行ったが、ますます海は荒れてくる。ストーム(強風用のセール)をさらにポイントして小さくしているので船足は稼げない。一番近いのは下田なのだが、台風に向かって走ることになるので、下田に向かう勇気はない。波浮か風裏になる岡田の港を目指すことにしてコースを取るが潮と風向が悪く位置は変わらない。その間にも台風は接近してくる。この間、死ぬかもしれないと感じた数時間だった。止む無く式根島に戻り、入り江に何本もの綱で船を舫った。綱が切れて浜に打ち上げられることを覚悟しながら台風をやり過ごしたのだった。その3・・・大島からの帰り、黒潮に逆らって油壺を目指すのだが、東に流されるばかりで、東京湾口もパスしような勢いだった。仕方なくセールを出してアビームで東京湾に入り館山で1泊して翌朝油壺を目指したことがあった。この時の話にはおまけがあって、翌朝東京湾を横切るとき、沖から何万トンもの本船が汽笛を鳴らしながら近付いてきた。セールをいっぱいに張り、いい感じで走っていたので、本船の前を横切れるだろうとクルーは皆楽観していた。が、いつまでたっても本船の左舷しか見えない。本来なら左舷から正面が見え、その内右舷が見えるようになって・・・・横切れるはずだった。湾口の潮が予想以上に速かったのだ!クルーザーは必死で波を切っているが位置は変わらない!すぐにディーゼルをかけたが、その頃には本船の舳先の波が小さくなり、スピードダウンしたのが分かった。皆さんご存知のように、東京湾に入る本船は何キロかの距離を置いて数珠のように連なって入ってくる。その本船の列を止めてしまったのだ。この後は「ランチを下して追っかけて来るぞ。」とか、「海上保安庁が来るぞ。」とか喚きながら油壺に駆け?戻った。

 鈴栄丸のメヌケだが、黒潮の接近で潮が速くなり、しばらくは出船見合わせのようだ。
 
付録です。   学生時代はヨット部だった。水深の2倍のアンカーシートで一斗缶を結んでマークにした。2倍の長さにもかかわらずアンカーが利かずに一斗缶が流されたり、一斗缶の上を海水が乗り越えたり、川の様な潮の速さを体験している。どんなオリンピック選手でもこの潮に逆らって泳ぐことはできないだろうと思った。「チン(沈・・・転覆すること)した時は決してヨットから離れるな」と主将から厳しく言われたことを思い出す。当時の私は金槌だった。