13日から水だけしか口にできなかったピンが夕刻死んだ。亡くなった父が可愛がっていた猫で、庭の雀を捕まえては意気揚々と見せに来た得意そうな表情が忘れられない。最近は奥の部屋の出窓が昼間の定位置で、今を盛りと咲き乱れる白萩の咲く庭を眺めて過ごしていた。ここ10日間はよろけながら、時には壁に寄りかかりながら歩いていた。2、3日前からは50センチ歩いては床に長々と横たわっていた。それでも用はトイレで済ませ、床や寝床を汚すことはなかった。体は骨と皮だけになり、筋肉の一片もなくなってしまっていた。最後は内臓のエネルギーも使い果たしたらしく、腹を触っても内蔵を確認できなかったほどやせ細ってしまっていた。まさに、命の続く限り生きたという感じだった。最期の時も「ピン!」と呼ぶと起き上がろうとでもするのか両足を突っ張るように、2度動かした。脳死などではなく、意識はあったのだろうと思う。でもそれで最後のエネルギーを使い果たしたのだろう。瞳孔が開き二度と目覚めることはなかった。
 この猫、目も開かないうちに捨てられていたのを小学生だった甥が拾ってきたのだった。そんなわけだから、兄弟とたわむれた経験がない。母猫の乳房に歯を立て母親に叱られたこともない。父も溺愛するばかりでしつけというものをしなかった。そのためだろうか、人を噛むのに加減を知らなかった。母も父も幾度となく噛まれて血を流していた。可哀そうな生い立ちのなせる結果なのかもしれない。あすはエルやラッキーがお世話になった佐倉の霊園でお経をあげてお骨にしてもらうつもりだ。エルもラッキーもサースも病んで最期は2日だったので、ピンのように持っているすべての生命力を使い果たして旅立った姿、生き方には感銘を受けた。生を受けて生まれて来た者の生き方の一つを目の当たりにした気持ちだ。まとまらないけれど、私も延命治療を受けることなく、生を全うしたいと願っている。