大川小の保護者が3.11当日の学校の対応を巡り、訴訟を起こした。学校の対応が適切だったのか?多くの児童の命が失われた原因はどこにあったのか?同様の事件を繰り返さないための方策は?知りたいことはたくさんある。報道で知る限りでは学校の処置に不信感を感じた人も多いのではないだろうか。
 教頭を中心とする教員のやり取りや、いつまでも校庭待機をさせられる児童の「ここにいたら死んじゃうよ。」という進言(?)を聞くと、地域の様子や歴史のへ認識の差が見えてくる。裏山は急で登れないという認識の大人達と、シイタケ栽培をしている山で容易に上れるという子供たち。以前にも津波が来た、届いたという子供たちと、ここまでは来まいと判断する大人たち。詳しいことはわからないけれど、報道をたよりに考えると、少なくとも管理職は二つのことを疎かにするか、好意的に判断しても足りなかっただろう点が二つあると思う。
 その一つは着任した時に地域の歴史をどれほど知ろうとしたのかという点。私が足立に着任した時には足立の用水と水害の歴史を、深川に着任した時は寺町の形成から深川、隣接する砂町の歴史や風水害と火事、空襲、伝統文化・工芸を、江戸川に着任した時には古墳時代からの歴史と直近のゴミや騒音闘争を急ぎ仕入れたものだった。それには各区で発行している冊子が役に立った。
 もう一つは足で地域を見て回り、川や用水路、排水場、閘門、住宅、道路等の地域の実態をどこまで把握していたのかという点である。万に一つに備えることが危機管理であると自らに言い聞かせて私は勤務してきた。学校近辺の地形や歴史を知っていたなら違う選択肢を選んでいた可能性も少なからずあったのではないだろうか。孫の誕生がスケジュールに登ってきて、一層保護者の立場から考えている。