母の旅立ちを記しておきたい。
 5日の19時、寝かした母の血圧と体温を測り記録する。血圧が100を切り、体温が7度6分あったので21時に再度測ろうと寝室に行くとぐっすり寝ている。この分なら無理に起こさないほうが良いと判断して毛布と上掛けを肩までそっとかけた。10分後にビールを取りに行った際にも覗くが変わりはない。
 翌6日午前2時、オムツ交換に行くと様子がおかしい。声をかけ顔を触ると冷たい。119に電話を入れ指示通り、奥と二人でベッドから降ろして心マッサージをする。加減したつもりだが肋骨の折れる音がする。5~6分後の救急隊の到着まで続けるがこの間不思議なくらい冷静だった。
 救急隊からすぐに蘇生不可能と告げられて母の旅立ちを知ることとなった。「何時間ぐらいでしょうか?」と尋ねると「4~6時間でしょうね。」という答えだった。逆算すると20時から22時ということになる。7時にベッドに横になった時のままの胸に手を乗せた姿勢で、四六時中パジャマのポケットに入れている連絡用の携帯電話もポケットに入ったままだった。市内に住む妹は旦那さんと一緒に駆けつけてくれた。
 30分後に東警察の刑事7~8人が到着して聴取や検分が行われた。病歴や入院歴を記録したものや血圧ノート、お薬手帳、預金通帳などといっしょに「今日中には帰せると思います。葬儀社には早く連絡を入れておくといいですよ。」と助言をくれて4時半に母を連れて行った。
 8時、「持病や高齢による心停止の疑い、亡くなったのは5日の午後11時頃という診断が出ました。今日中にはお返しできます。」と担当刑事のMさんから連絡が入った。11時少し前に再び「本部の決済が出ました。お引き取り下さっていいですよ。」とMさんの電話を受けた。
 父の葬儀をお願いしたS社の人と母をむかえに行き、12時過ぎには自宅に戻ることが出来た。お寺さんに連絡を入れて葬儀をお願いした。7日午後、妹たちが立ちあって湯灌を済ませた。7時から通夜、翌8日の12時から告別式と初七日を済ませ、4時過ぎ、お骨になって再び自宅に帰ってきた。ご住職と七七忌の打ち合わせを済ませた。
 10日、長い間お世話になった医療センターのK先生宅に奥と一緒に伺ったがお留守だった。11日夕方に出直し、奥様によくよくお礼を申し上げてきた。5日は昼食も夕食も食べたくないというのでスプーンですくって食べさせたこと、そんな時でもK先生のおっしゃることはよく守り、「水分を取らないとね。」というお言葉通り、コップいっぱいの水分は飲んだことなども報告した。K先生宅には6日早朝に刑事課から既往症等の確認の電話があり、「心臓かなぁ。」と奥様に話されていたそうだ。
 妹たちには「会えるときに会いに来い。」と度々言ってはいたが、こんなに早く逝くとは思わなかった。下の世話をしていると「すまないねぇ。」と言うので「すまなくはないけど死なないでよね。」というと「うん、死なないよ。」と答えていた母の声が耳に残っている。「出来ない、○○○してください。」と言われるたびに「今までできたでしょ、何もかもできなくなっちゃうよ。自分でやってごらん。」と突き放したり、「大丈夫、100まで生きるよ。」と励ましてきたりしたけれど、「してほしい」と言うことは何でもしてあげればよかったとつくづく後悔している。