家に帰り着いたころには握りこぶしにも幾分かは力が戻ってきたが午後も診療している近くの総合病院に奥同道で診察を受けた。


 看護士さんの質問に答えたら即、脳外科に回された。問診票に記入しようとしたら字が書けないので再度びっくりしてしまった。右手以外の手足の動きや歩行、瞳の動きに異常はないが、リミットの迫る中、Drもどうしたものかと悩んでいる。そうこうしているうちにも右の握力がまた少しだが戻ってきた。MRIには梗塞個所が見つからず、結局ヘパリンを点滴することになり、集中治療室に収容された。
 翌日一般病棟に戻されたが翌週水曜日まで点滴生活が続いた。ナスのマルチシートをはがして半身萎凋病の消毒をしなければならないし、トマトには疫病の消毒が待っているしと気はあせったが仕方がない。11号台風も心配だ。



 緊急入院した同じ金曜日、孫は沖縄での不幸に出席するために帰省しようとしたが、朝1ANA8時半になり飛び立ったものの羽田に戻り、夜、8時半に再び沖縄に飛び立っていったらしい。揺れがひどく、キャビンアテンダントさえも吐いている中、孫はきゃらきゃらと笑っていたらしい。その分なら船酔いをすることはないだろう。頼もしい!

 土曜日、早速長男と上の妹夫婦が見舞いに来たのでフグを半分ずつ持たせた。立派な型のマコガレイは先に来た長男が持ち帰ったようだ。日曜日には下の妹夫婦が見舞いに来てくれたが、冷凍してある前回のフグで我慢してもらった。


 介護していた母が逝き、四十九日が済み、香典返しも全て終わり・・・・このタイミングでの脳梗塞、私が生きる役目は終わったということかな。