とうとう終戦番組は姿を消したようだ。ケーブルテレビでは放映しているけれど、これは以前からも戦記物のようにして流していたから別物。
 昭和天皇の玉音放送の全文が14日の朝日の夕刊に載っていたが、17日のBS日テレでは玉音放送を放映していた。全体で4分半。誰が起草したのかは知らないが、久能氏の解説を聞いて改めて天皇の胸の内と国民への思いに満ちたお言葉のように思えた。同時にこの時から平和日本の歩みが始まったのだとも思う。(BS日テレでは18日も「あの時『日本だった』台湾①をオンエアしている)
 終戦とほぼ同時に伍長のまま帰郷し、戦後は社会党の支持者でもあった父だった。しかし、認知症に掛かってからは「天皇陛下がおいでになる。」とか「陛下が来るのに静かにしない。」とか「もうお見えにならないかもしれない。」と健常時とは異なる言動を繰り返していたのは戦前に受けた教育の産物に違いない。
 国家百年の計は教育にある。日本だけは日本国憲法の前文に掲げた理想を築くような教育をしたいものだ。