昨日、1日の朝、奥の携帯に義母逝去の知らせが入った。102歳だった。
 実家で義母の介護を続けてきた義弟と葬儀の確認をして帰ってきた。私の父方の親類がそろって反対した奥との結婚を認めてくれ、二人の孫をかわいがり、訪ねるたびにご馳走してくれ、其々に十分すぎるほどの奨学資金まで残してくれた義母だった。家族だけで見送ることになったが、郷里の大分からは親類が来る。近くに住む姪たちも参列する。立派な義母で、福岡で中学校、千葉で小学校の教師をしながら子どもたちだけでなく姪たちを育て学校にも行かせた。子どもたちが家を新築したり、うちで家庭菜園にしている土地を購入した時には3分の1を援助してくれた。
 友引が入るせいなのか、季節の変わり目のせいか、身罷る人が多く、火葬は5日の3時に決まった。
 帰りの車中で長男次男と奥がやり取りするのを聞いているうちに腹が立ってきた。仕事があるだろうから無理をして来なくても良いと盛んに言うのだ。結果、長男は出張を6日からにして葬儀に参列するという。次男は勤務をやりくりしたが通夜にだけ来るということになった。奥は遠慮して現職の息子たちに無理をするなというのだろうけれど、今まで世話になり、可愛がってくれたお礼を義母につたえる場は葬儀の場しかないではないか。無理をしてでも来てお別れを言うというのが筋ではないだろうか。人の道ではないだろうか。「お骨になる前に来なくて、何時、今までの礼を言うというんだ。」と息巻いた次第。奥よりも私が先に身罷った時、二人の息子達は葬儀に出席してくれるだろうか?ラジコンだ、その次はライフル射撃だ、冬は狩猟だ、仕事だといって子育てをせず、決して良い父親ではなかったことを十二分に自覚しているだけに、心配である。いや、心配なのは葬式に出てくれないことではない。それ以上に人の心の機微や義を解しない大人になってしまうのではないかと心配なのだ。最早、潔く諦めたほうが良いのかもしれない。
 義母が寝たきりになって以来、夜は介護ベッドの下に布団を敷いて見守ってきた義父のことが心配でならない。